カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

思わず失笑してしまう残酷さ   凶悪

2015-09-14 | 映画

凶悪/白石和彌監督

 前評判では結構どぎつくえげつない表現があるという噂は聞いていて、家族団欒で見るような映画じゃないかもな、という躊躇があったのだが、送られてきたので仕方がない。ということで淡々と観ることにした。
 死刑判決が出ていて上告している囚人から雑誌編集部に手紙が来る。記者が会いに行くと、共犯でのうのうと娑婆で生活している先生という存在を知らされる。実際の保険金殺人の主犯格でありながら、実行犯の自分だけが捕まってしまって、それが不服らしい。彼らの殺人の実態が、そのことであからさまに語られることになる。
 まあ、確かに悪の限りというか、実に残酷に人が殺されていく。殺しは自己中心的な金と自分の都合である。事件にのめり込んでいく記者の家族の軋轢も絡んで描かれていくが、軌道を逸した狂気の世界でありながら、なんだかそれが当然というか当たり前になっている世界にどっぷりつかってしまっており、ちょっとなんだか愉快になってくるのである。
 いや、普通の人であればそうは思わないのかもしれないが、僕にはブラック・コメディという感じになってしまって、途中何度か思わず笑ってしまった。殺すことの躊躇の無さも面白いのだが、そういう殺し方をすると、相手の方だってたまったものじゃないし、普通に抵抗するのは当たり前である。相手が恐怖におののいている様子に、どうせ死ぬんだからとなだめたり説教したりしている。これがコメディでなくてなんというのだろう。途中でその共犯者をあげるための殺人を羅列するのだが、ついでに関係のない殺人まで告白してしまって、それを聞いていた記者と一緒にお互いに笑ってしまう。そういう感じが僕にも移ってしまって、殺人の出来事事態を見ていても、笑えるようになってしまったのである。
 殺した死体を焼却炉で焼こうとすると、焼却炉の大きさに対して死体がでかすぎて入らない。仕方がないのでばらばらにして順に焼いていくのだが、肉を焼くと美味しそうな匂いがするという。そういう場面を見ていて、彼らは普通に殺人を処理していて、かえって真面目な人たちなんじゃないかな、とも感じた。いつまでもびくついて死体処理にまごついていても仕方がない。やるべきことを淡々とこなして、食いはしないが、旨そうだとも感じてしまう。そこが恐ろしいところの筈なんだが、妙に説得力があって、そうかもしれないな、と共感できる気がする。実話をもとにしていることもあるが、殺人の現場というのは、実際はそういうことなのかもしれない。
 主犯の先生と呼ばれる男がリリーフランキーなんだが、たいした力もなく、殺人もへたくそなんだが、ネタだけは見つけてくる能力がある。実行犯の凶悪男はピエール瀧で、かなりの凶悪ぶりなんだが、先生を素直に慕ういい奴なのである。いや、周りの人間はたまったものではなかろうが。結局だまされるというか舎弟まで殺してしまったという心残りが、事件を告白していく動機の大本だったのかもしれない。殺人には才能があっても、普通には生きられない真面目さがあるためではなかろうか。
 この男の凶悪さを演出するために、子供が勉強をしている隣の部屋で女と情事にふける場面があるのだが、実際のピエール瀧は、このシーンをワンカットで撮影する必要が本当にあるのか、と監督に言ったらしい。子役の女の子への配慮ということなんだろう。そういう実際にやさしい男が、演技ではものすごく凶悪な男として自然に恐ろしい。実に見事なキャスティングの勝利であろう。
 確かに映画にあまり慣れていない人には無理に観る必要は無いと思うが、なかなか面白い見ごたえのあるいい映画ではないだろうか。
コメント
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