カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

崇高な人間しか踏み込めない世界   昆虫標本商万国数奇譚

2012-09-20 | 読書

昆虫標本商万国数奇譚/川村俊一著(河出書房新社)

 虫取りに人生をかけている人の冒険談、ということで間違いは無いが、これが血沸き肉躍るような楽しい話、というような訳にはいかない。いや、お話は面白いが、その冒険に付き合って、つまりこの話を読んで虫取りに憧れる人がどれくらいいるのか。もちろん著者のサービス精神もあってエピソードの面白さそのものは際立っているのだけれど、どちらかというとこういう体験はまっぴらというか、いくら虫好きでもやはり冒険は止めた方がいいかもしれないとか、かえって躊躇してしまう人も居るのではあるまいか。
 アジアや南米の混沌というのはあるかもしれない。日本人には得体のしれない過酷な世界だ。また自然も厳しい。災害にも巻き込まれるし、人災にも巻き込まれる。本当に命がけということもあるようだし、監禁されたりすることもあったようだ。懲りている事もあるだろうし、既に取り返しのつかない事もあったようだ。しかし彼は現地に行く。自分で蝶を捕る興奮に代えられないものが無いかのようだ。
 冒険譚の他にも色々な虫にまつわるエッセイが入っている。いや、虫だけというより本人の人生というか。もちろん虫と切り離せはしないのだけれど、虫に懸ける情熱は子供の頃より変わらないようだ。そうして著者自体が特異な虫好きに過ぎないかというととんでもない話で、彼の先輩や先達や偉人がごろごろいる世界なのだ。むしろその存在に叩きのめされ、あこがれ、追い付き追い越せ、という感じで、さらにまた虫の世界にのめり込んでいき、ついには標本商として生きていくことになってしまう。対象が対象だけに凄まじいものがあるようで、好きであるということを越えて生きていくサバイバルそのものということになってしまうのだろう。
 かえって躊躇するものが出る心配をしたが、しかし、これは魅力的な生き方であるとはいえないでは無い話でもあるのである。というのも、実はちょっとは憧れる気持ちがあるのである。いや、僕にはとても無理には違いないのだが、そういう生き方のできる男というのは世の中に居ていいような気がする。そしてそういうことが実際にできる男というのは、同性として何と無く羨望してしまうというか…。
 地位や権力や金の面では、もっと凄いのは居るのかもしれない。しかし人間の頭脳を駆使しながら、実際に地球上の神秘に直に触れている前線の男たちというのは、いったいどれほど居るというのだろう。どういう訳か女の人にこういう人は少ないようだけれど、このような興味だけで生きているような男というのは、純粋に苦しくても楽しいのではあるまいか。
 別段死に急いでいる訳では無かろうが、ひょっとすると命にかかわることもあるかもしれない。それは頭の片隅にかすめているにもかかわらず、次の森には探している蝶が居るかもしれないという思いが、彼を駆り立てていくのだろう。また、そのように考えられる気持ちが羨ましい。そのような情熱に駆られなければ、とてもそういう気分になりはしないだろう。そうしてよく分からないが、本当にそのような願いがかなうかどうかも本当は分からないことなのだ。
 やはりこれは純粋に冒険譚なのである。そうしてそういう冒険の心を満たすことができる最後の領域が、昆虫の世界に間違いなくあるということだ。ダイレクトに地球とつきあう方法として、虫とともに生きる道を選ぶ。それは実に崇高な人間性だと言わねばならないのである。
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