カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

人間の残酷さと逃亡の心理を味わう名作   笹まくら

2012-09-07 | 読書

笹まくら/丸谷才一著(新潮文庫)

 丸谷才一と言えば旧かな遣いの声の大きな人(実際の声は聞いたこと無いけど)という印象があるのだけど、確かに小説家だったな、という感じ。大御所だけど、どちらかといえば作家の顔より批評家の顔の方が大きいという感じがする。随筆はそれこそたくさん読んだことはあるようだけど、また翻訳以外の小説を読むのはこれが初めてかもしれない。
 戦争小説というのはズバリそのもの、戦争の悲惨さを描いたものがそれこそたくさんあるし、小説に限らず、映画の世界でも、その惨状を伝える秀作というのは数多い。逆説的に戦争を讃美するようなものであっても悲惨さが伝わるものであって、要するに人の殺し合いには、人は過剰に反応できるのが当たり前である。そのような物事を知っておいて生きるということに意味がある訳で、たとえそれを娯楽として読んだとしても、その人の糧になる題材である可能性は高いのだと思う。
 この小説は、確かに先の戦争を題材にしたものだけれど、いわゆる戦記ものとはまるで違う。戦場の悲惨さというより、軍隊の悲惨さというのは対比的によく出てくるのだけれど、それは主人公が徴兵忌避者として逃亡生活をしていたということで、当たり前だが本人の体験談としての戦場は一切描かれない。しかし、たとえ戦地に赴いて居ない人間にとっても、戦時中の悲惨さと臨場感は凄まじいものがあり、主にその心理面だけの世界でありながら、個人が戦争に巻き込まれるとどのような事になってしまうのかということが、克明に描かれている。戦争に至った理由はあるとは思うのだが、このような境遇に置かれなくてはならない若者という葛藤は、その時だけでなく、一生の傷を背負うのだということが痛いほどよく分かる物語になっている。
 現在と過去がランダムに錯綜して、しかしその主人公の心理世界は、見事に連動していて、違う時代に生きて活動していながら、置かれている危機感はいつも途切れることが無い。逃亡者としての生活が終わってサラリーマンの境遇に置かれてもなお、彼にとっての戦争はまだまだ終わることは無かったのである。
 考え過ぎじゃないかというような心理の駆け引きがどんどん展開されているものの、しかしそこには確からしい根拠もあって、大きな圧力のもとにありながら、個人の力ではどうにもならない葛藤を繰り返し味わうことになる。それは、実は自分が若いころに行った決断によって導かれている現実であって、しかしその罪とも言えない罪というのは、時代が導いた綾の様なものだったかもしれない。ある程度の考えのある若者なら誰もが考えた道をただ自分は選択したに過ぎなかったのだが、しかしそれで綱渡りのような危機を幾度も乗り越え、そしてある意味で勝利を掴んだはずだったのである。敗戦した日本にあって、少ない勝者であったはずの人間が、終戦後も実は戦争そのものを背負わされることに奇しくもなってしまう。人間の運というか業というか、選択したのは個人だとしても、その背負わされるものの大小は、あまりにも不公平にいびつに違うものであるようだ。
 直接この物語とはまったく関係の無い話なのだが、僕は読みながら何となくオウム事件の逃亡者たちの事を思いだしていた。もちろん最近の一連の逮捕劇の記憶がそうさせたのであろうけれど、境遇が同じとはいえないまでも、逃亡生活というものの姿というのは、徴兵忌避者のそれと、あんがい似ていることもあるのではないか。もっとも彼等は最後まで逃げおおせることはできなくて、最終的には捕まってしまった訳だが、それまでの逃亡生活というものにおいては、この小説の主人公のような葛藤があったのではあるまいか。
 僕ら逃亡生活をしていない人間にとっては、逃亡者がこのような心理になることは自業自得と考えるかもしれない。もちろんそうなのかもしれないのだけれど、個人的にある意味でその境遇にあって逃げられなかった人間という存在も、ひょっとすると居るのではあるまいか。その境遇に強引に巻き込んでしまう代表的なものが、それは戦争だった訳であるが、戦争を起こしてしまうのは人間社会の業のようなものであって、たとえそれが戦争というような具体的な形を取らない場合であっても、社会的に個人を捉えて、または巻き込んで、このような逃亡的な心理に取り込むような社会情勢が生まれないとも限らないのではないか。
 僕はそのような普通らしい人間社会を、心底恐ろしいと思った。それは戦争の恐ろしさであることも確かであるのだけど、身近な日本の社会の中に、平和になってもしっかりと根付いて居るらしいものであるように思うからだ。戦時中から戦後の話というだけでなく、このような日常は、現代社会にもちゃんと生きて残っているように思える。そうしてそういうものこそが、人間の持っている性質のようなものなのではあるまいか。まさにそのことに微塵も気付かない人間ばかりが集まって、個人の逃げ場をふさいでしまう。そのような世界を、地獄と呼んでもいいのではないだろうか。
 奇しくもきな臭い空気の漂っているご時世にあって、タイムリーに読まれるべき名作だと思われる。下手な反戦ものを読むより、この本を手に取るべきなのだと強く感じた次第である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする