カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

想像以上に酷く、しかし感心してしまう   トランスフォーマー

2012-09-14 | 映画
トランスフォーマー/マイケル・ベイ監督

 脚本や演出は驚くほど陳腐で観ていて恥ずかしくなる程だが、しかしこの映画の魅力はそこでは無いので我慢してみるとやはり凄い映画という変な映画。なんと言うか本能的に興奮する要素(たぶん男の子)がふんだんにあって、日曜の朝についつい早起きしてしまう事を思い出すような映画だ。親にとっては迷惑なロボットもの(さらにオモチャまで買わされてしまいそうだし)なんだけど、そのロボットが車やらヘリコプターやら戦車などに変形するCG映像は、本当に官能的でさえある。戦うのを期待するものの、壊れてしまうのが敵味方かまわず本当に惜しい気がする。出来れば両方不死身でどんどん変形を続けて欲しいと願うほどなのだ。
 おそらくその陰で人間は虫けらのごとく殺されている訳なんだけど、そのような命の尊厳なんて微塵も無くて、さらに911を彷彿とさせられるようなきわどい演出なんかもみられた。それが見所で開き直っているのだろうけど、やり過ぎてかえって考えさせられないというということなのだろう。馬鹿でも行き過ぎると崇高になるように、過剰で馬鹿なところがこの映画のいいところなのだろう。何の教訓も得られないし、まさかこの映画で学ぶべきことを見出すような人間は生まれえようがないのだけど、有害なものこそ娯楽としては魅力的だということもあるので、子供や大人は呆れながら楽しんでしまうに違いないのである。永遠と過剰でお腹いっぱいになったけれど、ストーリーはまったくどうでもよく映像美に酔ってしまったという感じだった。というかこのストーリーや価値観は、はっきりって唾棄すべき酷いものだ。ほんとに。
 演出的にわざとらしすぎてなんども何度もイライラさせられるのだけど、そういう後に派手なアクションが繰り返しあることがかえってカタルシスになるということも狙いとしてあるのかもと勘繰っては見たが、恐らく考え違いだろう。しかしながら出てくる人の考え方がことごとく変なので、頭は混乱はするものの、どこか違う惑星の違う生物の人間によく似た人たちの物語だという感じにはなるので、それもかえっていいのかもしれないとは思った。スペイン語を話す同志に苦言をいう兵士が居る癖に、宇宙人は普通に英語を話すという愛嬌も、誰も気にならなかったのだろうか。誰が何のためにどうして戦っているのかもよく分からないし、脅威となっている強さの強弱が場面場面においてぜんぜん違うように感じることもかなり混乱した。要所要所はジョン・ボイトやジョン・タトゥーロのような変な個性派俳優が出てくることでバランスを取っているようだった。彼らが楽しんでいる風だから、まあ、これもいいのだろうと了解せよという符号なのだろう。
 映画として酷いものであっても、やはり楽しむ方法はある。だいたいそのような前科のたくさんある監督さんだということを知っておきながらやはり観たくなるということが、彼らの商売の術中なのであって、それに負けてしまったのはやはり僕自身なのだ。あえて完敗したということを認めようではないか。たぶん続編だっていつかは観てしまうのだろう。その時も後悔はしても、やはり楽しめるのかもしれないと期待はしてしまうに違いない。それが映画であるということも言えて、やめられない業のようなものなのだろう。

付記:それにしても飛んでるヘリコプターの多くはオスプレイだったね。既にこの当時から標準配置という感じなんだろうか。
コメント
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