モチベーション3.0/ダニエル・ピンク著(講談社)
どのようにしてやる気を出すかというのは確かに難しい問題のように思える。そもそも仕事にいつもやる気で満々という人間は、正直って少しばかり鬱陶しい。松岡修三といつも一緒に仕事をしたいと思うような人間が、世の中にいったいどれくらい居ると言うのか。
しかし、会社側や経営者が人を使う場合、社員にはやる気満々で働いて欲しいと願っているのは想像できる。基本的にはそのような人間にこそ、たくさんの報酬を与えたい。もちろんやる気のあふれる人間が、利益を生み出す働きをしていると考えているからだ。仕事ができるということであっても、まわりの人間を落ち込ませるような人間が、本当に欲しいといえるだろうか。もちろんある程度の見える成果を上げ続けられる人間を無視できる訳では無かろうが、やる気の無い人間を抱えているほど苦痛なものは無いだろう。役場のような組織であるならともかく。
つまりやる気になって働いている人間は、仕事の上では理想的なのだ。そして多かれ少なかれ、成果というものと連動していると信じられている。成果があげられると、さらにやる気のへのモチベーションも高まるだろう。そのような好ましい循環こそが、会社のような組織において、もっとも好ましい状態といえるだろう。
そうなるように組織というのは様々な工夫をしているはずだ。目に見える報酬というのはそのもっともたるものだろう。だからある程度の歩合制は、個人のモチベーションと連動しているはずだ。しかし実際にそのような仕組みを強化すると、不思議なことに全体のモチベーションは逆に下がってしまいかねない。競争に負ける人が出ることもあるが、勝ち続けることに疲れてしまう人も出てきてしまいそうだ。個人の利益を最大化するために、好ましい連携にひびが入る場合もあるのかもしれない。そもそもお金は最大のモチベーションであるというような単純な考え方には、限界がありそうだ。ではいったいどうしたらいいのだろう。
答えのカギは自律性と熟達、それに目的といったところだろう。自律性は個人の裁量を自由化させることでかなりの部分は得られるようになり、熟達は忍耐も必要だが、プロフェッショナルには欠かせない要素だ。目的はいうまでも無くその道しるべだ。
それらは実に当たり前の答えに過ぎないように見えるが、しかし実際には多くの人には与えられていない権利であるかのようだ。経営者の多くは、自らはそのようなものを手にしていて、実際にやる気をだして働いている人が多いはずなのだが、いざ自分が人を使うようになると、それらの一番大切なエッセンスを奪って仕事をやらせてしまう。それで本当にそれぞれがやる気を出して働いて行けるというのだろうか。
これがこの本を読んだ感想。つまりこれは経営者が、自分の会社で社員をどうしたらやる気にさせるのか、ということを考える際に役立つ本のようだ。もちろんやる気を引き出すために社員側が読んだって参考にならないことは無いだろうが、その裁量が与えられていない立場では、むしろ不満が生まれてしまうのではなかろうか。それに、このような考え方は好ましくもある半面、そのような裁量を必要としない業種(というものがあるような気が漠然とする)にとっては、少しばかり厄介なものかもしれない。
しかしながらこの本の考え方を支持できるのは、人は必ずしも他人よりも大きな報酬のみを求めて働いている訳ではない、ということだろう。その上で本当に自分にとって楽しい働き方を考える場合、その後ろ盾になる考え方にはなりうると思う。実際に一流と言われるようなスポーツ選手などは、当たり前のようにこのような手法を用いて、日々トレーニングに励んでいるはずなのだ。最終的に結果を出せる人間というのは、自律性を持って熟達に励み、自分の目指す目的へ向かって進んでいる人だということだ。
問題はその当たり前のことこそ、やはりそう簡単ではないのだろう。だからこそそのような確認を、人は時々するべきなのだ。
僕自身は自動的にそのような状態になれる魔法が無いものか探し求めて逃避して、そうしてたまにこのような本を読んでしまう。持続してものになるのかどうか、それは結局のところ、自分次第にかかっている問題の様である。
どのようにしてやる気を出すかというのは確かに難しい問題のように思える。そもそも仕事にいつもやる気で満々という人間は、正直って少しばかり鬱陶しい。松岡修三といつも一緒に仕事をしたいと思うような人間が、世の中にいったいどれくらい居ると言うのか。
しかし、会社側や経営者が人を使う場合、社員にはやる気満々で働いて欲しいと願っているのは想像できる。基本的にはそのような人間にこそ、たくさんの報酬を与えたい。もちろんやる気のあふれる人間が、利益を生み出す働きをしていると考えているからだ。仕事ができるということであっても、まわりの人間を落ち込ませるような人間が、本当に欲しいといえるだろうか。もちろんある程度の見える成果を上げ続けられる人間を無視できる訳では無かろうが、やる気の無い人間を抱えているほど苦痛なものは無いだろう。役場のような組織であるならともかく。
つまりやる気になって働いている人間は、仕事の上では理想的なのだ。そして多かれ少なかれ、成果というものと連動していると信じられている。成果があげられると、さらにやる気のへのモチベーションも高まるだろう。そのような好ましい循環こそが、会社のような組織において、もっとも好ましい状態といえるだろう。
そうなるように組織というのは様々な工夫をしているはずだ。目に見える報酬というのはそのもっともたるものだろう。だからある程度の歩合制は、個人のモチベーションと連動しているはずだ。しかし実際にそのような仕組みを強化すると、不思議なことに全体のモチベーションは逆に下がってしまいかねない。競争に負ける人が出ることもあるが、勝ち続けることに疲れてしまう人も出てきてしまいそうだ。個人の利益を最大化するために、好ましい連携にひびが入る場合もあるのかもしれない。そもそもお金は最大のモチベーションであるというような単純な考え方には、限界がありそうだ。ではいったいどうしたらいいのだろう。
答えのカギは自律性と熟達、それに目的といったところだろう。自律性は個人の裁量を自由化させることでかなりの部分は得られるようになり、熟達は忍耐も必要だが、プロフェッショナルには欠かせない要素だ。目的はいうまでも無くその道しるべだ。
それらは実に当たり前の答えに過ぎないように見えるが、しかし実際には多くの人には与えられていない権利であるかのようだ。経営者の多くは、自らはそのようなものを手にしていて、実際にやる気をだして働いている人が多いはずなのだが、いざ自分が人を使うようになると、それらの一番大切なエッセンスを奪って仕事をやらせてしまう。それで本当にそれぞれがやる気を出して働いて行けるというのだろうか。
これがこの本を読んだ感想。つまりこれは経営者が、自分の会社で社員をどうしたらやる気にさせるのか、ということを考える際に役立つ本のようだ。もちろんやる気を引き出すために社員側が読んだって参考にならないことは無いだろうが、その裁量が与えられていない立場では、むしろ不満が生まれてしまうのではなかろうか。それに、このような考え方は好ましくもある半面、そのような裁量を必要としない業種(というものがあるような気が漠然とする)にとっては、少しばかり厄介なものかもしれない。
しかしながらこの本の考え方を支持できるのは、人は必ずしも他人よりも大きな報酬のみを求めて働いている訳ではない、ということだろう。その上で本当に自分にとって楽しい働き方を考える場合、その後ろ盾になる考え方にはなりうると思う。実際に一流と言われるようなスポーツ選手などは、当たり前のようにこのような手法を用いて、日々トレーニングに励んでいるはずなのだ。最終的に結果を出せる人間というのは、自律性を持って熟達に励み、自分の目指す目的へ向かって進んでいる人だということだ。
問題はその当たり前のことこそ、やはりそう簡単ではないのだろう。だからこそそのような確認を、人は時々するべきなのだ。
僕自身は自動的にそのような状態になれる魔法が無いものか探し求めて逃避して、そうしてたまにこのような本を読んでしまう。持続してものになるのかどうか、それは結局のところ、自分次第にかかっている問題の様である。