ネバーエンディング・ストーリー/ヴォルフガング・ペーターゼン監督
エンデの原作が良すぎるので、まあ仕方ないかなという思いも割り引いて観ることになる。英語というのも気にならない訳ではないが、まあ仕方ないです。むしろ監督の出世作のUボートとはかなり違う作風なので(当たり前だけど)、それなりに楽しんで作られたものかもしれないな、とは思った。また、CG全盛の現代の視点から見ても、なかなか新鮮な映像世界だと思う。80年代の僕らの記憶よりも、なんだか古典じみて見えるのは、そのような時代の流れの速さなのかもしれない。
ファンタジー世界の生き物たちの面白さというのもそれなりに生きている。動きがそれなりに面白くて、その造形に凝っているらしいのは見てとれる。キャラクターのデザインのセンスが、やはり外国ものというのはずいぶん日本のそれとは違うものだと思う。おどろおどろしくもあるけれど、どこか滑稽に感じる。ディティールでは表情には凝っていても、体の部分のデコレーションは過剰になっていない。オリエンタルな怪獣たちとはやはり考え方も随分違うのかもしれない。
別のテレビ番組で解説があったが、日本の妖怪というのはモノであるとか、何かが変形してなるものが多いが、外国ものは生まれつき怪物で、変化しないのが普通だということだった。魔法ものでは蛙にさせられたりするものもあるようだが、あれは確かに妖怪のようなものではない。生まれつきそういう生き物であるのがモンスターなどの類で、いわば生き物の種類の一つという捉え方なのかもしれない。日本だと生物とはまた別のものという感じがあって、翻訳のしにくい存在なのだそうだ。日本でもそのようなものとの自然との付き合いのようなものはあるようだけれど、どこかそれはファンタジーとは違うような気がしないではない。トトロなどは、あんがい西洋的なモノノケなのかも分からない。宮崎監督自身がかなり西洋趣味な訳だし、日本ではむしろ特殊な部類なのだろうか。
子供心というのは、大人になってしまうと本当に忘れてしまうものだ。この映画のような心情は、見ている側だから答えが分かっており、登場人物の子供にそのことを教えたくはなる訳だが、そういう背景が無いことには、本当にそのような答えが自ら分かったかどうはかなり怪しい。つまり本当は既に忘れていた訳で、ファンタジーはあくまで大人の解決法では無い。しかしながら、このような強引さもありながら、子供の解決策の方が、やはりファンタジーとしては納得しやすいようにも思う。被害を受けたものを損害賠償してもらっても仕方が無い。同じような恐怖をいじめっ子に味わってもらうことが、何よりすっきりするのである。そのようなことでいいのかどうかは大人の判断としては問題がある。だからこそファンタジーが人間には必要になるのではあるまいか。理屈でいうとそういうことになるが、しかしその感情は理屈では無い。理屈ではないがファンタジーが強く心に響くのは、そのような真実が物語の中に隠されているからなのだろう。