カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

子供に妖怪のありかを聞かれたらどうするか

2012-09-08 | HORROR

 先日子供達が妖怪を探して徘徊している番組があった。ゆとり教育はそんなことを許しているのか!ということではない。まあ、子供がうろうろするくらい、いいじゃないですか。
 子供たちが妖怪らしきものがいるようなところをウロウロするのだけれど、やはりなかなか妖怪は現れたりしない。仕方ないので道を尋ねるように大人たちに妖怪の在りかや、住んでいそうなところを聞いて回るのだが、誰一人として色よい答えを出してくれる人がいない。そりゃあ、当たり前といえばそうなのだけど、ついでに「妖怪なんて信じちゃいない」と自分の意見を言う人も多かった。
「どうして信じてないんですか?」と、問われると、
「だって、見たこと無いもんね」ということだった。現代人は正直だね。
 実を言うと僕は、妖怪は見たことは無いんだけど、信じているクチなんである。
 こんなことを言うと怪しまれるのは承知している。僕はオカルトの類はそんなに好きじゃないし、極めて合理的に物事を考えることと実存主義的な考えにも共感できる人間ではある。しかし、そうだからこそ、というべきか。人間がいる限り、妖怪というものがいる方が自然だという気がしているだけなのかもしれない。
 前に台湾の元総統である李登輝が(彼はクリスチャンらしい)、神様の存在は簡単に証明できる、と言っていた。「皆さんは愛の存在を確実に知っているし、感じているはずだ。神様の存在というのは、そのようなものだからだ(大意)」というのを読んでから、妙に納得したことがある。僕は神の存在はともかく(も、含めてというべきか)、すぐに思い出したのは妖怪の事だった。愛があるなら妖怪も居る。変な了解だとは思うものの、そんなようなものが世の中に居るのは当然ではないか。
 テレビの前でそんな説明をするのは野暮だし、子供に妙なことを教えるオトナという立ち位置を警戒した人もおられるのかもしれないのだけれど、見たこと無いから信じないというような大人が増えることは、かえって人間の幼児化が進んでいるせいだという気がしないではない。
 見たこと無いから信じないのであれば、地球は平べったくてもいいだろうし、自分中心に物事を捉えても何の問題も無い訳だ。そんなことを言っている訳ではないという反論も分かるけど、結局はそんなことと変わりは無い。
 だからといって妖怪を見たという人とお近づきになりたい訳ではないのであしからず。そういう配分というのは、なかなか難しい問題だね。
コメント
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