若い頃、僕はたくさんの歌を書いた。
自分の心を搾り取るようにして書いた歌詞はどれも「巧く人に見せること」よりも、
当時の自分なりに「本当に思っていること」にこだわっていたから、
それが「売り物としての評価」から外れてしまうこともよくあった。
若い頃の僕の、当然ながら身勝手で甘酸っぱくもある思索の数々を赤裸々に綴った歌詞は、
年齢を重ねたいま振り返ると、さすがに多少は気恥ずかしい。
が、そんなに売れたわけでもないし、と割り切って、
昔書いた作文や手紙のように「自分史」の中の1ページとして胸に収めている。
でも、しがないインディーズとはいえ、さすがに7年もやってると、
各地でかなりの数ライブもやってるし、相当数の音源を売っても来たから、
割と少なくない数の人の手に渡っていたりする。
そのほとんどは、いまもう会うこともない不特定多数の人々の元で死蔵されているか、
棄てられたか売られたかだろうから、普段はあまり意識することがない。
でもたまーに、いまでも大事に聴いてくれているという人の声に触れる機会がある。
実感できる範囲では僕の友人たちにも、気に入ってもらえた曲があったりして、
決してセルフなだけのものではなくなっている。
すると、創り手の意図を離れたところで聴き手の自由な解釈に委ねられ、
その人の人生でちょっとした出来事があったときに、
僕の歌詞の描く心象風景とふんわり重なって、思い出してもらえることがあるのかな、と思う。
誰かの思い出の背景を飾る色の一つにでもなれているのかもしれない。
そう思っただけで嬉しくなるし、そう伝えてもらえることは僕にとってこの上なく光栄なことだ。
音楽で食っていこうと思うなら、どんどん書いて、どんどんボツになって、
それでもめげずに書きまくって…というのが普通だろう。
なのに僕は一曲一曲に馬鹿正直に自分の心にこびりついた本当の気持ちを書き出そうとして、
でもそれがうまく作品に昇華できなくて、一言一句にいつまでも悩む悪性の遅筆でもあった。
最後の2年くらいはディレクターにも事務所にもボロクソに言われ、
全く書けなくなってしまったりもした。
僕が商業ベースに乗れるほど才能豊かでタフな創り手ではないのは明白だった。
残念ながらというべきか、当然ながらというべきか、僕のバンドは成功しなかった。
有名にもお金持ちにもなれなかった。
「買ってもらう為に思ってもない嘘や綺麗事で塗り固めたような詩は書かない」なんて、
僕のつまらないちっぽけなプライドのせいもあると思う。
それでも僕は、嘘は書かなかった。思っていることを誠実に書いた。
(僕の書いていない詞に僕の名をクレジットした嘘つきはディレクターだ・笑)
そのおかげで僕は、いまでも僕の歌を大事に聴いてくれている人の存在を伝えられるたびに、
なんら恥ずかしいことも後ろめたいところもなく、これは僕の作品ですよ、と胸を張れる。
本当に不器用だったけれど、後悔はないし、バンドに捧げた日々や僕が心を込めた作品達はいまでも僕の財産だ。
結成からちょうど20年。僕は昔からずっと良くも悪くも僕でしかいられないけれど、それで良かったんだな、と思う。
自分の心を搾り取るようにして書いた歌詞はどれも「巧く人に見せること」よりも、
当時の自分なりに「本当に思っていること」にこだわっていたから、
それが「売り物としての評価」から外れてしまうこともよくあった。
若い頃の僕の、当然ながら身勝手で甘酸っぱくもある思索の数々を赤裸々に綴った歌詞は、
年齢を重ねたいま振り返ると、さすがに多少は気恥ずかしい。
が、そんなに売れたわけでもないし、と割り切って、
昔書いた作文や手紙のように「自分史」の中の1ページとして胸に収めている。
でも、しがないインディーズとはいえ、さすがに7年もやってると、
各地でかなりの数ライブもやってるし、相当数の音源を売っても来たから、
割と少なくない数の人の手に渡っていたりする。
そのほとんどは、いまもう会うこともない不特定多数の人々の元で死蔵されているか、
棄てられたか売られたかだろうから、普段はあまり意識することがない。
でもたまーに、いまでも大事に聴いてくれているという人の声に触れる機会がある。
実感できる範囲では僕の友人たちにも、気に入ってもらえた曲があったりして、
決してセルフなだけのものではなくなっている。
すると、創り手の意図を離れたところで聴き手の自由な解釈に委ねられ、
その人の人生でちょっとした出来事があったときに、
僕の歌詞の描く心象風景とふんわり重なって、思い出してもらえることがあるのかな、と思う。
誰かの思い出の背景を飾る色の一つにでもなれているのかもしれない。
そう思っただけで嬉しくなるし、そう伝えてもらえることは僕にとってこの上なく光栄なことだ。
音楽で食っていこうと思うなら、どんどん書いて、どんどんボツになって、
それでもめげずに書きまくって…というのが普通だろう。
なのに僕は一曲一曲に馬鹿正直に自分の心にこびりついた本当の気持ちを書き出そうとして、
でもそれがうまく作品に昇華できなくて、一言一句にいつまでも悩む悪性の遅筆でもあった。
最後の2年くらいはディレクターにも事務所にもボロクソに言われ、
全く書けなくなってしまったりもした。
僕が商業ベースに乗れるほど才能豊かでタフな創り手ではないのは明白だった。
残念ながらというべきか、当然ながらというべきか、僕のバンドは成功しなかった。
有名にもお金持ちにもなれなかった。
「買ってもらう為に思ってもない嘘や綺麗事で塗り固めたような詩は書かない」なんて、
僕のつまらないちっぽけなプライドのせいもあると思う。
それでも僕は、嘘は書かなかった。思っていることを誠実に書いた。
(僕の書いていない詞に僕の名をクレジットした嘘つきはディレクターだ・笑)
そのおかげで僕は、いまでも僕の歌を大事に聴いてくれている人の存在を伝えられるたびに、
なんら恥ずかしいことも後ろめたいところもなく、これは僕の作品ですよ、と胸を張れる。
本当に不器用だったけれど、後悔はないし、バンドに捧げた日々や僕が心を込めた作品達はいまでも僕の財産だ。
結成からちょうど20年。僕は昔からずっと良くも悪くも僕でしかいられないけれど、それで良かったんだな、と思う。