いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

ツアー日記:5/4盛岡激闘編

2005-05-04 04:21:50 | Rebirth歴史資料館
本番の日の朝6時まで「ササキさん」を交えて盛り上がってしまった俺たち。当然朝から動く気力もなく、俺とシュンスケ昼過ぎまで爆睡。起きたら仮眠室のテレビで「必殺仕事人IV」をやっていた。思わず見る。何を隠そう、俺の小学生の頃の夢は3年生の頃「プロレスラー」、4年生の頃「漫画家」、5年生で「阪神の選手」、6年生で「仕事人」だったのだ。痛いにもほどがある。現実感を喪失していればこその夢なのだが、最高学年に至って時代を超えてしまっているのが情けない。京本政樹演じる「組紐屋の竜」に憧れたものだ。今思うとビジュアル系の走りである。しかし何も組紐で人の首締めなくたって。どういう訓練を積めばあの距離から投げた組紐がうまいこと絡まりつくのだろう?街中で折り取ってきた植木の枝のとんがった部分を人の延髄に突き刺す「花屋の政」も今思うとスゴイ。小枝が刺さって死んじゃう悪党のもろさに乾杯だ。演じていたのは村上弘明だったのか!するってえと幼稚園の頃の最高のヒーロー「スカイライダー」に続き、俺は同じ人物に2度にわたって夢を与えられていたことになる。盛岡で幼時に思いをはせるとは。ツアーって深い。

やがてツアー中の定番と化した朝風呂をたしなみ、猪苗代湖へ遊びに行っていたという他のメンバーと合流。このツアーは移動にも時間にも余裕があって、毎日その土地の名物を食べ、温泉につかり、仕事らしきものといえば歌うだけという、考えてみれば夢のごとき日々であった。バンド続けてうまくいきさえすりゃあ、それが日常となったのにねえ。もったいないとは思わんのかね。それはさておき、ライブハウスへ移動。この日のハコは「クラブチェンジ」。建物の左隅っこにある慎ましやかな看板がかろうじてそれと気づかせる。しかしライブハウスがあるという認識で訪れなければ、この建物はどう見ても「みまつ食堂」だ。しかも3階正面壁には、消防署でしかお目にかかれない赤色灯がぽつんとひとつ。なぜだ。君は前身なんだったのだ。シュンスケの説によれば「あの赤いのを押すと押した人の姿形になって代わりに色々やってくれるんだ。ちょっと大きくなっちゃうけどな。」だと。コピーロボットじゃねえか。

楽屋に入るとさすが北国と言うべきか、スキー場などで見る大きなストーブが真ん中に一つ。荷物を運び込んだところでみんな携帯充電ラッシュ。健康ランドでコンセント使えないからねえ。リハにはなぜか見知らぬ人物が数人立ち会い、ノリノリで見てくれていた。この日の地元対バン「chime」のメンバーであった。何でもRebirthのプロモビデオ「very very very」をどこかで見たらしく、それ以降えらく気に入ってくれて今日を楽しみにしていたのだという。とても丁寧に挨拶してくれた。こういう出会いもあるからやっぱりツアーって楽しいし、バンドは続けてなんぼだ。ほかのバンドもRebirthに興味を持ってくれたらしく、こういう些細なことで俺のテンションは上がる。郡山に引き続き、初めての土地でありながら楽しくやれる予感がそこはかとなく漂い始めた。しかし、これを確信に変えるためにはもう一段階必要だ。意を決して俺は楽屋を出た。

盛岡についたらこれだけは絶対に挑戦しようと堅く心に誓っていたものがある。言うまでもない。わんこそばだ。幼い頃より噂には聞いていたが一度も体験したことのない神秘の儀式。一杯食べ終わるとまた一杯…と次々に盛られ、フタをして降参するまで繰り広げられるという狂乱のそば尽くし饗宴。あっていいのかそんな罰当たり。「わんこそばいくぞ!わんこ!」表に居合わせた数人のリバっ娘たちに声をかけ、地元のバンドに聞いた「直利庵」という名店を目指す。こういうイベントものは人が多い方が楽しいに決まってるし、どーせ最後のツアーなんだしね。晩春の盛岡を歩く。陽が差している間は東京とさほど変わらない暖かさだ。キレイに整備された道沿いの町並み、しかしその向こうに目をやると山と原野が見え隠れする。なんだかセットみたいでおかしい。盛岡はなんだか独特の空気があって、発展する都市としての風景と、明らかにそれに取り残されている一部の建物とのコントラストがなんともおかしい。俺が発見したものではドアが一カ所に極端に密集している古アパート、そして二階には荷物が山ほど置いてあるのに一回はもぬけの空で、重みのせいか微妙にその間が中央にくぼんでいる建物などがある。言わせてもらえばクラブチェンジの建物もその一つだが…。このこだわらないスタンスがいい。さらには「リバース岡本院」なんて鍼灸医があったりして。この辺の写真たちまとめてアップしたいんだがここだと1枚しかあげらんないみたいなので、そのうち写真館も造ることにしよう。

さて、直利庵。そばの付け合わせとなる薬味(うにやらいくらやら素敵なものが…)の内容によって値段が違うのだが、ここは迷わず特上をオーダー。今思えばあんなに食うなら並でよかったとの思いもあるが、そこはロッカー、仮にもファンの前で守りの姿勢など見せられるか。ロックはいつだって特攻だ。座席にもこだわって、正面にお椀を突き出してそばを入れてもらう奥の席ではなく、背後から容赦なく突っ込まれる通路側の席を選ぶ。するとその姿勢を見た給仕のおばちゃんが「わかりました、お客様にはベテランの者をお付けしますので…」との宣戦布告。気合いが入る。とりあえずはその人にひと通り説明を受けスタート。うむ。快調だ。10杯、20杯、このくらいはなんてこたあない。ウニもいくらもいただいちゃう。そんな中ついに現れた「ベテランの者」。なるほど、なんだかオーラが違う。気を引き締めて臨む。すると…速い!速すぎるぜベテラン!去年のシューマッハみたいだぜ!俺が一杯を口に入れて飲み込むよりも早く、椀が口元を離れる前に額の辺りから、俺の前髪のようにそばが滑り込んでくるのだ。しかもテンポがよいもんだからこちらが遅いとなんだか申し訳なく、ついついギアもトップに入ってしまう。気づけば70杯超だ。この辺でスローダウンしてきた俺を見下ろしベテランは「若いの、そこそこやるようだがまだまだだな」的な微笑を口元にたたえ、去ってゆく。ここからは自分との闘いだ。そういうことなのだ。とりあえずは100杯を目指す。80、90…とそこに、隣の席の家族連れの声が聞こえた。

「お父さん何杯食べたの~?」
「108杯!煩悩の数だけ食べてやったわい!」
「すご~い…あちらの若い人も食べてるようだけど…どうかしらねえ…」

カ~~~ン。
俺の心のゴングが鳴ったのが判った。男には倒さねばならない敵がいる。無駄だと判っていても戦わなければならない時がある。幼少の俺にそう教えてくれたのはハーロックだったかアンタレスだったか。食わねばなるまい。のどの入り口まで。たとえ今日のライブで真のリバースとなろうとも。俺の孤独な旅が始まった。100杯。もう胃はダメだ。食道だ。108、109、とりあえず隣のオヤジは倒した。110、うーんどうせなら…111!…ここで俺は光よりも速く、つまり黄金聖闘士を凌駕するスピードでお椀にフタをした。もうムリだ。これ以上は人間じゃねえ。リバっ娘たちの拍手の中俺は意識を失った。店の中だったが動けねえものは動けねえ。

小一時間ほど過ぎただろうか。まだ苦しい。なんでもわんこそば12~3杯でかけそば1杯分だそうだ。するってえと俺はかけそばを9杯以上食ったことになる。道理で。前にかがめない。ちょうど、新品の歯磨き粉のチューブを折ると口からむにゅ~っと出てくるように、俺にはもう直立しか許されない。よたよたしながら楽屋へ戻る。メンバースタッフ一様にあきれ顔。でもそれが気持ちよかったりして。心配されたライブも大盛況。今日でちょうど250本目だ。リバースすることもなく、最初で最後となる盛岡で思い切り盛り上がってきた。問題ない。ライブ後、みんなで記念撮影。「Rebirth最北の地盛岡250本目」との標柱も製作してきた。昨日と同じ赤湯温泉に宿泊。実はたまに霊が出ることで噂のスポットなのだという。まさかササキさんって…。

まあ111杯とはいえ、上には上がいるだろうとは思ってはいたが、後日すさまじい情報が俺の元に伝えられた。毎年「全日本わんこそば選手権」なるものが行われており、そこで認可されたチャンピオン記録は『第1位 559杯 中嶋某 山梨県 1996年』だという。断言するが、そんなのは地球人類の所業ではない。しかし俺の闘志に火がついたのは隠せまい。いつかもう一度盛岡の地に降り立ち、この記録を塗り替えたいと……思うかボケ!次は薬味もゆっくり楽しむわい!!
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