僕は生まれてこの方、「何もしなかった」時期がない。
退屈だった時期がまったくないのだ。
とはいえ、何か自慢できるようなスゴイこともこれといってしてないし、
たいてい、なにかくっだらないことに夢中になってただけだったりもするんだけど。
でもとにかく、ずーっとずーっと何かやってて忙しかったような感じだ。
それは今もまさにMAX進行中なんですけどね(笑)。
(今の仕事も無茶苦茶に忙しいけど、
捌いていく気持ちよさもたしかにあって、さ。
あんまり、「仕事に塗りつぶされてる」感じはしないなあ。
とりあえず今は、ね。)
だから僕の人生はどのページを開いても、多忙。
いつの手帳も公私を問わなければ予定でぎっしりだ。
たまに、休みたいなあ、と思うときもある。
でも、あんまり本気で多忙をイヤだなあと思ったことがない。
実は心のどこかでそれを望んでいるし、歓迎している向きがある。
退屈が本当に苦手で、とにかく何かやらずにいられない。
するべきことがないときは、本を読んでいるか寝ているかだ。
眠くなって電池の切れるその瞬間まで、意識のある限り僕は何かをやっている。
意味のあるなし、価値のあるなし、そういうのはどうでもよくて、
何かを常にやっている、そういう手ごたえがないと落ち着かないのだろうと思う。
強迫神経症みたいのとは違うと思う。
そうでなければならない、なんて思いはないからね。
サボりたい、寝ていたい、なーんにもしたくなーい、
そういうときもちゃーんとあるよ。
でも、続かない。すぐ終わっちゃう。
たいてい、カラダが疲れ切って持たなくなってるときだから、
浴びるほど寝るとすぐ回復しちゃう。
気がつくとまたごそごそと何かを始めるのだ。
だから、よくある「生きる目的がみつからない」とか、
「生きる張り合いがない」とか、「会社・仕事人生に疲れた」とか、
「何にもしないで自分自身と向き合う時間が欲しい」とか、
「いまは人生の休養時間だから、仕事もなんにもしない」とか、
こういうの、ワタシ、皆無です。
こういうセリフ振りかざしてニートに収まっちゃう人、巷にあふれてますが、
ワタシにはさっっっっぱり、おっしゃることの意味がわかりません。
もちろん、それぞれに様々な事情はあろうかと思われるので、
一概には言えないでしょうけどね。
でもそれ言ってたら何にも言えなくなっちゃうんで、敢えて言うけど、
少なくとも資本主義社会で、働けるのに働かないヤツなんてクズですよ。
世の中本当に「働きたい」のに、本当に「働けない」人だっているってのにさ。
その気になれば十分働けるのに、
働けないフリのうまいヤツがトクをするなんて、おかしいじゃない。
働かないで、飢え死にするのかと思いきや、多数は親元でぬくぬくやってたりして、
大甘ちゃんじゃないですか。
動物界だったら淘汰されてますよ。
自分で獲物狩ってこなくても生きていけちゃう人間なればこそ、だよね。
「働きたくない」だけなのに、それを「働けない」と言い換えて、
なんだかんだ理屈くっつけて、要するに社会で生きていく責任を果たせない、
そんなのに同情しててもしゃーない気がするなー。
理不尽な社会のシステムの犠牲者としての、
フリーターやニートの言い分は尊重されるべきだとは思うけども、
便乗しちゃってんのも少なくないからなー。
まあ、口では何とでも言えるからね。
やっぱり実践してる人の方が重みがあるでしょ。
その意味では働くのなんてイヤだけどちゃんと働いている人の方が、
イヤだからって理屈こねて放り投げちゃう人よりも、
ちゃんとこの21世紀の人間社会でやっていくための責任を果たしている分、重い。
それは誰も否めないでしょう。
念のためもう一度言いますけど、「働きたいけど働けない人」は別、よ。
でもそれも自称だと説得力ないけどね・・・(笑)
で、僕は常に多忙。でもだいたい満足。
基本的に、その時その時でやりたいことをやってるからだろうなと思う。
本当にやりたいことばかりやってきた人生だったけど、
自分への絶対的なタガとして、報酬のもらえる労働も欠かさず果たしてきたよ。
バイトでも何でも、16才以降、僕は自分で働いてお金をもらうことを絶やしたことがない。
働かないで居ると絶対クズになると思ったからね。
バンドが一見どんなに順調にいってるように見える時でも、
絶対にバイトは辞めなかった。
イヤでイヤでしょうがないときもあったけど、
そこできっと、バランスとれてたんだなー。
周りにちらほら居たヒモみたいなの、彼らをみてるとホントにイヤでね。
働くことだけは一生やめないでおこうと思ったもんですよ。
お金がもらえる仕事と、あんまりもらえない仕事があるけれど、
基本的にはもらえる仕事をした方がいいですね。
何というか、客観的な評価の中で責任もってやれる、
その環境とか感覚が大事なんだと思う。
そういうのがないと、自分に都合の良い自己評価ばっかりで、
常にピントのぼけた人生を送ってしまうような気がする。
僕の人生はいまのとこ、密度だけは濃いけどもね。
人から見れば別に大した価値もないんだろうけど、
世評に照らした価値の有無なんかどーだってよくて、
自分で納得してればいいわけでさ。
最初から目的とか理想とか、これ見よがしな大看板があって、
毎日充実を実感しながら進んでいく人生なんて、あるわけない。
RPGじゃねーんですから。
振り返って、ああ俺の人生はこうだったのだ、
それなりにドラマじゃん、と思えればOKじゃないかと、
思うわけです。
探さなきゃ見つからない自分なんて、ただの妄想じゃない、ねえ?
僕は自分のやりたいことやって、生きていきますよ、今後も。
だって楽しいんだもん。
退屈だった時期がまったくないのだ。
とはいえ、何か自慢できるようなスゴイこともこれといってしてないし、
たいてい、なにかくっだらないことに夢中になってただけだったりもするんだけど。
でもとにかく、ずーっとずーっと何かやってて忙しかったような感じだ。
それは今もまさにMAX進行中なんですけどね(笑)。
(今の仕事も無茶苦茶に忙しいけど、
捌いていく気持ちよさもたしかにあって、さ。
あんまり、「仕事に塗りつぶされてる」感じはしないなあ。
とりあえず今は、ね。)
だから僕の人生はどのページを開いても、多忙。
いつの手帳も公私を問わなければ予定でぎっしりだ。
たまに、休みたいなあ、と思うときもある。
でも、あんまり本気で多忙をイヤだなあと思ったことがない。
実は心のどこかでそれを望んでいるし、歓迎している向きがある。
退屈が本当に苦手で、とにかく何かやらずにいられない。
するべきことがないときは、本を読んでいるか寝ているかだ。
眠くなって電池の切れるその瞬間まで、意識のある限り僕は何かをやっている。
意味のあるなし、価値のあるなし、そういうのはどうでもよくて、
何かを常にやっている、そういう手ごたえがないと落ち着かないのだろうと思う。
強迫神経症みたいのとは違うと思う。
そうでなければならない、なんて思いはないからね。
サボりたい、寝ていたい、なーんにもしたくなーい、
そういうときもちゃーんとあるよ。
でも、続かない。すぐ終わっちゃう。
たいてい、カラダが疲れ切って持たなくなってるときだから、
浴びるほど寝るとすぐ回復しちゃう。
気がつくとまたごそごそと何かを始めるのだ。
だから、よくある「生きる目的がみつからない」とか、
「生きる張り合いがない」とか、「会社・仕事人生に疲れた」とか、
「何にもしないで自分自身と向き合う時間が欲しい」とか、
「いまは人生の休養時間だから、仕事もなんにもしない」とか、
こういうの、ワタシ、皆無です。
こういうセリフ振りかざしてニートに収まっちゃう人、巷にあふれてますが、
ワタシにはさっっっっぱり、おっしゃることの意味がわかりません。
もちろん、それぞれに様々な事情はあろうかと思われるので、
一概には言えないでしょうけどね。
でもそれ言ってたら何にも言えなくなっちゃうんで、敢えて言うけど、
少なくとも資本主義社会で、働けるのに働かないヤツなんてクズですよ。
世の中本当に「働きたい」のに、本当に「働けない」人だっているってのにさ。
その気になれば十分働けるのに、
働けないフリのうまいヤツがトクをするなんて、おかしいじゃない。
働かないで、飢え死にするのかと思いきや、多数は親元でぬくぬくやってたりして、
大甘ちゃんじゃないですか。
動物界だったら淘汰されてますよ。
自分で獲物狩ってこなくても生きていけちゃう人間なればこそ、だよね。
「働きたくない」だけなのに、それを「働けない」と言い換えて、
なんだかんだ理屈くっつけて、要するに社会で生きていく責任を果たせない、
そんなのに同情しててもしゃーない気がするなー。
理不尽な社会のシステムの犠牲者としての、
フリーターやニートの言い分は尊重されるべきだとは思うけども、
便乗しちゃってんのも少なくないからなー。
まあ、口では何とでも言えるからね。
やっぱり実践してる人の方が重みがあるでしょ。
その意味では働くのなんてイヤだけどちゃんと働いている人の方が、
イヤだからって理屈こねて放り投げちゃう人よりも、
ちゃんとこの21世紀の人間社会でやっていくための責任を果たしている分、重い。
それは誰も否めないでしょう。
念のためもう一度言いますけど、「働きたいけど働けない人」は別、よ。
でもそれも自称だと説得力ないけどね・・・(笑)
で、僕は常に多忙。でもだいたい満足。
基本的に、その時その時でやりたいことをやってるからだろうなと思う。
本当にやりたいことばかりやってきた人生だったけど、
自分への絶対的なタガとして、報酬のもらえる労働も欠かさず果たしてきたよ。
バイトでも何でも、16才以降、僕は自分で働いてお金をもらうことを絶やしたことがない。
働かないで居ると絶対クズになると思ったからね。
バンドが一見どんなに順調にいってるように見える時でも、
絶対にバイトは辞めなかった。
イヤでイヤでしょうがないときもあったけど、
そこできっと、バランスとれてたんだなー。
周りにちらほら居たヒモみたいなの、彼らをみてるとホントにイヤでね。
働くことだけは一生やめないでおこうと思ったもんですよ。
お金がもらえる仕事と、あんまりもらえない仕事があるけれど、
基本的にはもらえる仕事をした方がいいですね。
何というか、客観的な評価の中で責任もってやれる、
その環境とか感覚が大事なんだと思う。
そういうのがないと、自分に都合の良い自己評価ばっかりで、
常にピントのぼけた人生を送ってしまうような気がする。
僕の人生はいまのとこ、密度だけは濃いけどもね。
人から見れば別に大した価値もないんだろうけど、
世評に照らした価値の有無なんかどーだってよくて、
自分で納得してればいいわけでさ。
最初から目的とか理想とか、これ見よがしな大看板があって、
毎日充実を実感しながら進んでいく人生なんて、あるわけない。
RPGじゃねーんですから。
振り返って、ああ俺の人生はこうだったのだ、
それなりにドラマじゃん、と思えればOKじゃないかと、
思うわけです。
探さなきゃ見つからない自分なんて、ただの妄想じゃない、ねえ?
僕は自分のやりたいことやって、生きていきますよ、今後も。
だって楽しいんだもん。