いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

ヘンコなもので2

2018-06-04 10:59:01 | 超・いぶたろう日記
半年ほど前の、とある人のとある物言いに、
ずっと何か喉に魚の小骨が引っかかったような違和感を覚えており、
そうか、こういうことだ、と思い当たる。

どうも僕は、ルーツとしては遠く小学校の昔にまで遡るんだけど、
「単なる個人の好き嫌いやこだわりに過ぎないこと」を、
「あたかも世間全体の総意・常識であるかのように」説き、
「実際の問題点よりもそれを説く自分の『良識的な姿』」が優越しちゃう、
または正しい自分にうっとりするあまり思考が停止しちゃう、
そんな人や組織が嫌いなんだなあ、と気づく。

たぶんその人は絶対的に正しいことを言っているつもり。
しかしその根拠は「私の周りではみんなそうしている」しかない。
つまり、ことの是非を論じることよりも、
これを僕に言うことで「多数派」である自分に
「少数派」の僕を屈服させることが目的化している。
だから単純な提言では済ませず、必要以上に理論武装して臨んでくる。

また大前提となる自分とその感覚を正当化するために、
わざわざ「自分の周囲では常識」とかいうものを持ち出してくる。
僕は別にその人のいわば「意識のお高い」グループに属しているわけでも、
また属したいわけでもないのだけれど。

だいたい、そういう人って
「私だけじゃなくてみんなそう思ってる」
「あなただけがおかしい」って、
まつろわぬ者を仲間はずれにしたがるよね。
いわゆるムラ社会。
自分の軸をもっておかしいことはおかしいと主張する人間よりも、
自分を殺して過剰に調和への忖度をはかる人間が評価される環境。
その一方で感覚を共有しない人間にはとことん冷淡。
良識を謳う割には、ひとつ掛け違うと排他的。
そして自分の気持ちより人の気持ちを考えろというその人が、
同じ口で僕への遠慮会釈は一切なく、冷たい言葉のナイフを突きつけてくる。
なぜなら僕は「非常識」な「罪人」だから(笑)。

思えば「まつろわぬ者」ばかりが集った中高6年間を除けば、
僕はずっとそういうムラからの爪弾きや孤立の歴史だ(笑)。
まあ、むしろいまでは誇りにさえ思うけどね。
いまなお、ムラには入らず自分の脚で立って生きていることにも、ね。
ムラでしか生きたことのない人には、わかるまい。
まあ交わらなければ済むことではあるのだけどね。
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