被災者に憑依して、偽善を語るつもりは毛頭ないけれど、
さすがに復興相の人選、テキトーすぎるんじゃないかと思う。
被災者ならずともアタマにくる。
「文脈を無視して言葉を切り取って…」とかいうレベルじゃないと思うよ。
何人が亡くなったとか、被害額がいくらだったという基準で
「災害のひどさ」を定義するのは勝手だけど、
それを復興相の立場で公言するというのはさすがに適性を欠く。
あの震災で住居や故郷を喪い、また身内を亡くした人からしてみれば、
「何人」だったとか「何円」だったとかはまったく関係ない。
わざわざ「それ以上に酷い」災害に言及する意味がわからん。
例え犠牲者が1人であっても、それが自分の身内や親族、親友だったなら
「1人で良かった」なんて発言を許せるはずもないよな。
この「もし自分だったら」という当事者感覚が大事なんだよ。
どれほど論理的には正しいことを言ってても、
共感が得られなければ民主政治では支持は得られない。
科学リテラシーを欠く政策判断など、もちろんその問題点はあるけれど、
少なくとも復興支援という役割を担う立場なら、大前提はこの当事者感覚。
あまりにデリカシーがないし、致命的に想像力に欠けている。
いつもの言葉狩り、大臣のクビ獲り、集団ヒステリー…
と簡単に斬って捨てられない、どうしようもない品性の貧しさを感じる。
そんな人間が為政者の地位に留まってロクなことはない。
現政権のどうしようもない病根の深さを感じる。
さすがに復興相の人選、テキトーすぎるんじゃないかと思う。
被災者ならずともアタマにくる。
「文脈を無視して言葉を切り取って…」とかいうレベルじゃないと思うよ。
何人が亡くなったとか、被害額がいくらだったという基準で
「災害のひどさ」を定義するのは勝手だけど、
それを復興相の立場で公言するというのはさすがに適性を欠く。
あの震災で住居や故郷を喪い、また身内を亡くした人からしてみれば、
「何人」だったとか「何円」だったとかはまったく関係ない。
わざわざ「それ以上に酷い」災害に言及する意味がわからん。
例え犠牲者が1人であっても、それが自分の身内や親族、親友だったなら
「1人で良かった」なんて発言を許せるはずもないよな。
この「もし自分だったら」という当事者感覚が大事なんだよ。
どれほど論理的には正しいことを言ってても、
共感が得られなければ民主政治では支持は得られない。
科学リテラシーを欠く政策判断など、もちろんその問題点はあるけれど、
少なくとも復興支援という役割を担う立場なら、大前提はこの当事者感覚。
あまりにデリカシーがないし、致命的に想像力に欠けている。
いつもの言葉狩り、大臣のクビ獲り、集団ヒステリー…
と簡単に斬って捨てられない、どうしようもない品性の貧しさを感じる。
そんな人間が為政者の地位に留まってロクなことはない。
現政権のどうしようもない病根の深さを感じる。