いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

寂寥

2016-05-17 11:18:49 | 超・いぶたろう日記
友達の死というのは、なんと現実感のないものだろうか。
知らせを受けても、亡骸を見ても、
何かの間違いなんじゃないかとしか思えない。
荼毘に付されてなお、まったく吞み込めない。
たとえば海外にいて、何年も会ってない友達のように、
いまもどこかで元気に頑張っているんじゃないかと。

呑み込めないでいるからこそ、何かと考えてしまうのだろう。
日常の忙しさに紛れ込ませないと、寂しくてやりきれなくなる。
亡くなった友達その人への思いもさることながら、
こういうことが本当に起こってしまうんだ、
自分たちの時間は有限なんだ、
というわかりきった、でも忘れがちな絶対的な運命を、
改めて突きつけられた寒々しさと言おうか。

人の生死という場に臨むと、
自分が普段いかに些細なことにこだわり、
つまらないことで悩み、
取るに足りないことで人と争い、
そして損をしているのかと思う。
ごくごく当たり前の日常や、身のまわりの人々との時間が、
どれほどかけがえのないものかと思う。

意義のある人生を後悔なく送りたいと思うけれど、
毎日がもったいなく過ぎてゆく。
彼女がどれほど望んでも得られなかった時間の中に、僕らは居る。
その重みだけがずっしりと胸に響く。
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