いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

情理の対称性

2014-06-16 00:53:43 | 超・いぶたろう日記
雑感。特定の誰を揶揄するような話ではなく。

たしかに、大人が常識や理屈に縛られて見えなくなっている本質を、
無垢な子供の目が見抜く、ということは無くもない。

ただ、それがすべてでも絶対でも一般法則でもないよね。

子供はやはり子供だから、知識も経験も浅くて、
すっごく狭い視野の中でものを考えてるわけで、
知らないからこその愚かさ、
そして自身そのことにも気づけない限界ってあると思うんだよな。

知識や理屈に縛られてる人は確かに不自由だと思うけど、
自分よりも博識能弁な人を、機械のように言うのはお門違いだと思う。

本当に知識や論理を身に付けたと言える人って、
知識や論理を場に応じた形で正しく展開・応用できる人で、
そのためには人の気持ちも理解できなければいけない。

また、そもそも人に理を尽くそうという誠実な姿勢の本質には、
人に対する深い感情があるはず。

感情と理性とは表裏一体。
やはり僕は感情原理主義にはうなずけないな。

感情を理解しないで、理屈を振りかざす人間が、
自分の高知能と周囲の無理解とを声高に主張しても、
何らの共感も得られないように、
知識も合理性も備えようとしない人間が、
感情を振りかざすというのもまた、片手落ちな気がする。