いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

ん、まあ、

2010-06-13 00:16:18 | 新・いぶたろう日記
だれにでもさ、ツライときはあらーな。
思うに任せないのが世の中だし、望みを言ったらきりがないし。
がんばってたって「契約終了」の4文字で職を失う人も多いし、
かたやテキトーにやってイイ暮らししてる(ように見える)人もいたりして、
やるせなくてたまんないのが現代日本だよ。

んで、みんな自分以外の誰かのせいにして文句ばっかり言ってるし、
実際、誰かがどうにかしてくれると思ってる。
人の手落ちばかり探してる。
何か言いがかり付けてトクしよう、みたいなね。
たしかに世の中はどーもヤナ感じだ。

僕らはトシもとった。
若い連中の言い分もよくわかんなくなってきた。
何でもかんでも「ビミョー」「キモ」「ワケワカンナイ」じゃあ、ねえ。
いま僕らが彼らに何かもの申せば、
そんなつもりはなくとも「昔は良かった」と響いちゃうだろうし、
彼らにとっては「ウザイ」だけなんだろう。
こればっかりはどうしようもない。

若かった頃は「夢と希望」に向かって「明るく前向きに」生きていた、
それが「現実と失望」にメゲないように、
「妥協と割り切り」でどうにか生きていくのが大人だ。
一方で、すべては自己責任だから、歯止めなしに堕落していくのもアリだ。
「いい大人が」なんてこと気にせずに、
ケータイに、ゲームに、アニメに、PCに、ネットに、
耽溺していくのだってその人が選んだ生き方だろう。

だけどなー。
なくしちゃいけないプライドってあるんじゃないか。
人にアタマを下げないとか、人の話に耳貸さないとか、
そんなレベルの話じゃなくってさ。
僕の場合それは、
久しぶりに会った友人をがっかりさせない
ってことだと思うんだよね。

太るかもしれない、ハゲるかもしれない、
老けこんだかも、やつれたかも、貧乏かもしれない。
だけど、変わらないね、と言われる何か、
お前に会えてよかったよ、と言われる何か、
それを持ち続けていられるかどうか、ってことなんじゃないか。

そのためには、殻に閉じこもってちゃ、やっぱりダメなんだよね。
常に社会と対峙して、人並みに苦労して、矛盾に憤って、理不尽を呑み込んで、
それを分かち合って、発散して、また活力を求めて。
コミュニケーションだよ。
今やっていることに価値があるかどうかじゃない。
自分なりのカラーや味を失わない意識がそこにあるかどうかじゃないか。

お金じゃない、見た目じゃない、年齢じゃない。
市場価値の有無だけが基準じゃない。
誰かがふと、
あいつはどうしてるかな、あいつならどう言うかな、あいつに会いたいな、
そんな風に思い浮かべるうちのひとりでありたいと思う。
俺は、ね。

その辺、どうなんだ?
もう、本当にどうでもいいか?
後付けの言い訳を重ねて、耳に心地良いキレイゴトを並べて、
楽な方、楽な方へ流れ流れていった結果が、それかい?
ウソだろ。
ウソだって言ってくれよ。

頼むよ。
Comment (1)
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