いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

1億総お客さん文化を嘆く

2007-08-20 03:36:34 | 似非哲学の部屋
8/19の読売新聞によれば。
全国の大学病院で、医師や看護師が昨年1年間で、
患者や家族から受けた理不尽なクレームや暴言は約990件、
暴力行為は430件にも上ったそうだ。

具体的には。

・入院手続時間外に軽いけがの男が入院を要求。医師が、「ベッドの空きがないので明日来てほしい」と告げたところ、缶コーヒーを投げつけられ、顔を殴られて、顔面を骨折。
・入院患者から「言葉遣いが気に入らない」という理由で足に花瓶を投げられた看護師。
・患者の家族が「待ち時間が長い」と腹を立てて壁をけったり、暴言を吐いたりした。
・検査後に異常がなかったことがわかると、検査費用の支払いを拒んだ。
・娘の点滴に際し、「ミスしたら絶対に許さない」と恫喝
・面会時間を過ぎても妻を同室させるよう、5時間に亘り食い下がる

などなど、おおよそ神経を疑うようなものばかり。

慶應大病院のコメント。
「ホテル並みのサービスを要求され、苦慮している」
そりゃあ、苦労するわなあ。。

かつて日本は「恥」の文化だった。
図々しいこと、空気の読めないこと、わがまま、
こういったものを極力避け、和を最高の美徳とする民族だった。
むろん手放しでそれがいいというのではない。
個人の尊厳が犠牲にされたり、組織の論理で押しつぶされたり、
そういった側面もついて回る。
目立たず平凡に中流として生きる現状を肯定する、
伝統的日本農民ライクな生き方を強制されることもあったろう。
しかし、戦後の誤った解釈による、個人主義への過度の妄信的傾倒は、
単なるワガママ文化、お客さん文化を根付かせてしまったのではないか。

つまり、当然のようになんでもかんでも他者に要求し、
それが通らなかったり期待にそぐわなかったりすると、
カンタンに「キレ」るのである。
自分に原因があるかもしれないなんて、露ほども考えない。
たとえ自分のミスが原因だとしても、
まずどこかに相手の落ち度がないかを探し回る。
回転ドアに子供が挟まって死んだら、
親としての自分の監督責任よりも先に、
業者の責任や施設の管理責任を問おうとする。
きちんと説明書や成分表も確認せずに、
いたずらにいじり廻したり適当な量を服用して、
機械が壊れた、カラダがおかしくなった、
そんなんでも平気でクレームの電話を入れてくる。
とにかく、アタマを使いたくないらしく、
その結果起こりうる全てを他人のせいにするのである。
謝るより先に言い訳なのである。

そして決まり文句はこれだ。
「カネを払ってるんだから…」
「じゃあ、弁償して下さい。カネを返して下さい」
これが実にイヤラシイ。
俺はこの台詞が大っ嫌いだ。
これは、売り手の心意気
(お金を戴いてるんだから誇りを持って最良のものを提供しよう!)
(お金を戴く以上はプロとしていい加減なものは提供しない!)
を表す台詞であるべきで、
買い手のワガママや好き嫌いで安易に吐かれていい台詞ではない。
品性を欠く。
このことの自覚がない者が近年、実に多いように感じる。
お客さまは神さまです、というのも商売人の心意気であって、
客の側の自覚であってはいけないはずだ。

とにかく、なんでも文句をつければいいと思うのだろうか。
自分だけが損をしてるんじゃないか、
騙されてるんじゃないかと思うのだろうか。
検査して異常がなければカネは払わないなんて、どういう理屈だろう。
こういう奴はきっと、
違うところでも同じような気の狂った理屈をこねるのだろう。
まずかったからメシ代は払わないよ。
つまんなかったから映画代は払わないよ。
それが通ると信じられる脳みそが、俺には信じられない。

提供者が明らかに手を抜いている、悪意があるというのなら、まだわかる。
でも精一杯やった結果ならば、
客は好き嫌いだけでカネをどうこう言うべきではない。
それは客として格好良くないのだ。
そこを選んだ自分にも責任はあるのだ。
いちいちキレて喚いて見苦しい姿をさらす必要がどこにある。
二度と使わなければいいだけの話じゃないのか。
どうも俺には、単にキレたい、
合法的に人を一方的に打ちのめしたい、
こんな言いたいこと言えるチャンスを逃してたまるか、
そんな風にも窺えるのである。

殿舎でもホテルでもコンビニでもファミレスでも、
やたらめったら怒鳴っている人をよく見かけるようになった。
つくづく、器の小さい国民性である。

ま、俺もか(笑)。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする