「馬から落馬する」は、やってはいけない重複表現の例としてよく挙げられる。
原文というか、フルバージョンがあって、
「いにしえの昔の武士のさむらいが 山の中なる山中で 馬から落ちて落馬して 女の婦人に笑われて 赤い顔して赤面し 家に帰って帰宅して 仏の前の仏前で 短い刀の短刀で 腹を切って切腹した」
というのだそうだ。
ちょっとくどい;笑
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会話の中では、ある程度は許されるというか、聞き取りミスを避けるために意識して重ねて言うこともあるように思う。
ただ、文章表現では避けなければいけないだろう。
そして、学術論文ではレフリーや編集員に指摘されたりする。
気になっているのは・・・・
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「体重が重い牛」
これはどう思いますか?
子牛ではなく、育成牛や成牛など体重が重い牛では、ヒト用プレートでは強度が不足する・・・・という風に使いたい。
この「体重が重い牛」以外、わかりやすい表現を思いつかない。
しかし、重複表現ではあるのだろう。
「重」が重なってるし;笑
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そもそも、「脛骨骨折」も重複表現ではないだろうか?
「骨」を「骨折した」と言っているわけだから。
「骨」を重ねるのではなく、「尺骨破折」などとするのが文法論理上、日本語として正しいのではないでしょうか。
う~ん、日本語は難しい。
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英語でも同義語反復 tautology は避けるべきとされる。
ただ、母国語ではないと、通じているかどうかわからないので別な表現で重ねて言いたくなるし、
学術論文でもいくつかの表現を用いることで概念を創っていきたいがゆえに、おなじ概念の言葉を複数使いたいことがある。
plate fixation
plating
plate osteosynthesis
統一しろとか、どう違うんだ、とか指摘されることもあるのだが、
言葉とか、文章表現とかにかかわる本質的な問題が問われているように思う。
問題が問われる・・・・も重複か・・・・笑
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重ならないように間隔をあけて
それでも自分のを先に食べて
ほかの奴の飼い桶をねらう
馬は食べるときに順番があるようでそういう場面をよく見かけます。
馬も個性や体調に合わせての管理は大事なのでしょうね。
「牛」ではなく「患者さん」または「お客様」としてみるとそんな気がしませんか?
ただ、「体重」とすることで測定値であるか、あるいは客観性が含まれるように思うのですが。
まあ、馬房へ戻して1頭ずつの飼いつけも各牧場やっています。
「体が重い」と言われたら前後の脈絡から次の質問は「何キログラムですか?」「いつからですか?」か、「そうですか」に留めるか「体重ですか?」かな?
重複羅列の原文、ラッパーが食いつきそうですね。
言い回し変えても同じこと言っているだけじゃんですとか、微妙に違う意図を伝えたいのにそこ統一しろとか、元の木阿弥みたいなこと書かせて進歩させるつもりないだろテメェ、となります。
繋がれている牛は隣の奴から食い出します笑
残り滓食わせるだけの序列ってグループでもチームでもなく群れでしかなくてこれよりは生産性あるかな、とは思いますが。
この重複羅列の例文は好ましくないですね。コメディーにしても内容が陰惨で、優しさや敬意が感じられません。
募っただけで、募集したつもりはない、??と言いましたねいましたね~
忘れました?忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ。というのは有名なフレーズなのですが、tautology ですよね。
隣の牛の分を先に食べて、あとで自分の分を食べようと考えているのですね?賢い。
いいね!いいね?はぁ
英会話というより文語口語なのですかね。
軽い奴とか言われて体重の話に持っていくのは転換術としては良いかもですけれど。
そっちが察しろという。
やっぱりお隣さんとの主従で始まっているのでしょうけれどもね。
食っている間に食われているよ、という関係でうまく回してしまうのも前時代的解決策だったのかも知れません。
見た者笑ってもいないのに切ってしまうのが今どき?
そんなのに限って武士道崇拝パフォーマンスだったり。