最後の第7章は研究倫理・不正について。
その最初に、HTA;Health Technology Assessment 医療技術評価 が紹介されている。
医療技術を実践する際の医学的・社会学的・経済学的そして倫理的問題を体系的で、透明かつ公平にまとめていく学際的過程・・・
難しいが、「泣くな研修医」の研修医クンが、生活保護受給者で高齢の末期胃がんの患者さんの治療で悩んだり、
「ブラックジャックによろしく」に提示されている医療現場での諸課題も、この「評価」の対象だろう。
UKでは、医療技術評価機構である NICE; National Institute for Health and Care Excellence は医療技術の評価に経済評価も含めていて注目されているのだそうだ。
さらには、Citizens Council report として、市民会議で議論し、報告書を出しているのだそうだ。
簡単に結論や合意が得られることではないのだろうが、今のままでは医療は破綻する。
何が良い医療なのか、医療に何を望むのか、社会全体で死生観も含めて議論を始めるべきときだと思う。
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臨床研究もまた背景には社会情勢があり、医療上の倫理もまた社会の中のものでなければならない。
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NOSAI獣医師は、必要最低限の治療をしなさい、と教わる。
対症療法より原因療法を優先しなさい。
治らないと思ったら治療するのを止めなさい。
高額治療は慎重に。
薬剤選択は安い薬から。
限度超過すると診療所経営も圧迫するよ。
などなど。
”経済動物”だから、ということで、獣医療はある面、ヒト医療より進んでいた部分があったのかもしれない。
しかし、家畜共済制度の運営の仕方や、畜産業の規模が大きく変化すると、その大動物診療も変らざるを得ない。
大動物臨床でも、あらためてHTAが必要だろうと思う。
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先日の吹雪。
1時間ほどで止んだのだが。
前も見えない。
この地域では珍しい。
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研究とは眼をこらして先を見ることなのかもしれない。
手術の場合、いろいろな要素が含まれるので、細部までとなると大変そうですね。
そうかぁ、目を凝らすと言うとき、視覚以外のことを言っていることも、確かにあるだろうと思いました。
死ぬべきときには死ぬのが善く候、誰の言葉でしたか。
家畜の診療は哲学がないまま、経済に左右されてきたのかもしれません。
金ばら撒いて技術者集められないのもそうでしょう。
ワクチン開発も思うに任せない。
ここで取捨選択が迫られて、経済動物という交差点に日本医療もたどり着いたことに気が付いたのだと思います。
自我の確立した者については経済や倫理について自己責任で決着がつきますが、中絶はともかく生かした新生子の自我の目覚めに対する責任問題なんかは簡単に決着しないでしょうね。
家畜は倫理も含め飼養者責任ですから。
共済制度はそこを全うしている共同体について国が支援している制度ですから、本来は経済は言い訳にならないのかも知れません。
その飼養者責任の倫理はより愛護的になってきているのでしょう。
共済獣医師も廃用にする為の診療を診療指針と申し、EBMとしてきてますよね。
抗生剤なんか御作法のように1次選択から入っては時間と金かけて多剤耐性拵えるだけだと思うのですが。
外科も牛の第四胃変位然り経済的見込みのない状況分かっても御作法のように手術していては医療崩壊しますよね。
飼養状況によっては免責という判断をして共同体を維持するのは獣医師の責任になのでしょう。
骨折なんかは多くの場合不慮であり、免責になることはほとんどないでしょうけれどもね。
家畜共済の診療指針や給付基準も現代の獣医学と相反しないものにしていかなければならないと思います。それで払いきれない部分は自己負担にするしかないでしょう。