真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「ノーパン家庭教師 たまらないお股」(2001『美人家庭教師 半熟いぢり』の2009年旧作改題版/製作:フィルム・ハウス/提供:Xces Film/監督:工藤雅典/脚本:橘満八・工藤雅典/撮影:村石直人/照明:三浦方雄/編集:金子尚樹/音楽:たつのすけ/助監督:竹洞哲也/助監助手:米村剛太/撮影助手:山本直史/照明助手:小岩強、他一名/メイク:パルティール/出演:加藤由香・河村栞・葉月蛍・町田政則・森士林・しらとまさひさ)。スタッフ中米村剛太の“助監助手”は、実際にさうクレジットされる、初めて観た。
 ミニコンポにCDをセットし、女子大生の岡崎千里(加藤)がこれから向かふ家庭教師の為の身支度を整へる。音楽が鳴り始め、千里がてれんこてれんこ踊り始めたところでタイトル・イン。ダサいダンスもしくはライブ・シーンは娯楽映画にとつての爆死フラグではなからうか、結論を先にいふと、早々に感じた危惧はまんまと的中してしまつた。着替へを済ませた千里は、自身の一種のセックス恐怖症から失敗気味に終つてしまつた、彼氏・草薙浩次(森)とのデートを出し抜けに思ひ出し頭を抱へる。更にその苦い夜には、スピード信販―明らかに黒いだろ、そこ―からの借金の催促が千里に追ひ討ちをかける。千里は草薙と会ふ準備に、出費をかさませてゐた。とかいふ次第で、千里は時給が三千円といふ現在の家庭教師のアルバイトに飛びついたのだ。あはよくばお察し頂けようか、実は開巻時の時制にはこれでは殆ど意味がない。立てたフラグに馬鹿正直にも忠実に、早速映画の足はまるで地に着かない。
 家庭教師初日、千里を出迎へた父親の渡辺良平(町田)と、良平の隣には永田小夜子(葉月)が。但し小夜子は、高三の生徒・梨華の母親ではない。実母は梨華が未だ幼い頃に病死し、小夜子は、選りに選つて受験生を抱へた難しいこの期に良平が再婚を考へてゐる相手であつた。小夜子が渡辺家に出入りするやうになつて以来、梨華の素行は荒れ成績も急降下したといふのだ。それ、歴然と

 原因は明らかだろ。

 良平は家庭教師を連れて来るよりも、もつと先にするべきことがあるだらう。ともあれ梨華の部屋を訪ねてみた千里は度肝を抜かれる、梨華(河村)は部屋に連れ込んだ彼氏・斎籐和也(しらと)とセックスの真最中であつたのだ、どれだけ家庭が崩壊してゐるんだよ。町田政則は四の五のいはずにさつさと娘の部屋に怒鳴り込んで、ガキの一人や二人叩きのめしてしまへば済む話だ。順調に物語は木端微塵を加速する、以降も明後日に絶好調、千里と梨華の家庭教師風景に突入すると何故だかいきなり二人とも下着姿なので果たして何事かと首を傾げてゐると、勉強をてんで真面目にする気のない梨華の気紛れで、合間合間に野球拳をやつてゐたりなんかするのだ。いつそのこと、カメラも柳田パンでも仕出かせばいいのに。縦方向には本家の大先生も振らないぞ、デンプシー・ロールみたいな話になつて来たな。
 草薙も気の毒に、千里の方から特に明示された理由もなく一方的に距離を置かれる進展しない恋模様。梨華は良平に、受験に合格した場合、小夜子との再婚を取り止めさせる無理難題を呑ませた挙句に、経験の乏しい千里を嘲笑ふかのやうに、草薙を寝取る。工藤雅典と橘満八のコンビにはさういふ前科は見当たらない筈なのだが、全篇は感動的な支離滅裂で埋め尽くされる。何が何だか繋がらないどころか、最早まともな物語が存在しない。最も逆の方向に素晴らしいのが、仕事で帰宅しない良平は不在のままの、梨華の合格祈願と誕生日祝ひとを兼ねたホーム・パーティー。当初参加者は、梨華・千里・小夜子に和也。そこはかとなく宴も盛り上がつて来たところで、小夜子が遅れて渡辺家に到着した草薙を普通に親しげな様子で招き入れ、この時点で既に棹姉妹の千里と梨華は目を丸くする。千里と梨華と、それ以前に観客の抱へた疑問が一欠片も解消されることはなく、酒を酌み交はす大人達の向かうを張りジュースに混ぜる為に和也が取り出した、結局何の小瓶なのかは語られず仕舞ひの薬品の作用によりトリップ状態に陥つた五人の、フリーダムな乱交がスタートする。音楽をかけ性懲りもなくテレテレ踊り出す千里を遮ると、ブレイク・ビーツを鳴らした小夜子は「ハイ!ハイ!」と掛け声だけはラウドなものの、踊り自体はグダグダなモンキー・ダンスをだらしなく披露する。そんな小夜子の姿に草薙は漏らす、「この人の過去には一体何が・・・・?」。さうぢやないだろ、そもそも、お前と小夜子の関係がどうなつてゐるのだ。そこを説明して呉れないと、五人でのシークエンスが千里と梨華が目を丸くしたところから成立しない。和也のドラッグは、工藤雅典の自前なのか?
 誕生パーティーの夜辺りから気が付くと梨華は小夜子の存在を受け容れ、藪から棒ばかりが林立する。未だイッたことすらない千里を、梨華が手解く逆プライベート・レッスンは趣向としては確かに面白いとも思へるものの、千里は和也を教材としたレッスン1で性の悦びに目覚めつつ、“本当に大切な人を見付ける方法”だとかを学ぶのがレッスン2 だと、豆鉄砲を喰らつたやうな草薙に勝手に別れを告げるオーラスには、呆れ果てるのも通り越して晴れやかな心持ちさへ錯覚しかねない。同じ一幕内にて、カットと同時に画面のルックも派手に変つてしまふ粗相も、数箇所散見される。小川欽也や新田栄ならばまだしも、といふか特段驚くにはあたらないともいへ、一体工藤雅典が何をどうここまでトチ狂つたのか、不可解がドドメ色に煌く頓珍漢部門の名ならぬ迷作である。もしも何処かで工藤雅典の特集を組む際には、敢て今作を頭に持つて来るべきだ。二作目以降が、間違ひなく輝いて見えよう、噛ませ犬かよ。
 
 ところで、家庭教師であることは兎も角、千里のノーパン描写なんて別に見当たらなかつたぞ。八年の時も超え新題まで絶好調とは、気が利いてゐるのだか火に油を注いでゐるのだか、最早よく判らないふりをする。


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