真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「ハサミ男」(2004/監督:池田敏春/脚本:池田敏春&香川まさひと/原作:殊能将之/脚本協力:長谷川和彦・山口セツ・相米慎二/出演:麻生久美子・豊川悦司・阿部寛、他)。よくある、“映像化不可能”とか謳はれたミステリー小説を原作とする映画である。以下、ネタバレに関してはほぼ手放しにつき。
 成績が優秀で容姿にも恵まれた女子高生ばかり選んで、その喉に鋭利に研ぎ澄ましたハサミを突き立て殺害する連続猟奇殺人鬼・ハサミ男(豊川)。と、その助手格で自殺未遂を繰り返す知夏(麻生)。二人が次のターゲットに選んだ女子高生が、ハサミ男が手を下すよりも先に、ハサミ男の犯行を模した殺害方法によつて殺された。ハサミ男と知夏は、危険を冒しながらも真犯人を捜さうと決意する・・・といふストーリー。結末を真正面から堂々とネタバレしてのけると、ハサミ男とは<実は知夏が高校生の時に、知夏の眼前飛び降り自殺した父親(が、トヨエツ)>。即ち、ハサミ男の犯行は要は<多重人格症の知夏の、別人格として発現した父親>の凶行であつた。といふものである、堂々とするにもほどがある。
 原作に目を通さず書いてゐるので(通せ)正確なところは判らないが、原作は事件の真相にケリが付くところまでで、映画にはある更にその先といふのは、原作小説にはないものである。といふ書き込みを、公開当時に余所様の掲示板で見た覚えがある。

 知夏―とハサミ男―は、偽ハサミ男に殺害された女子高生の遺体の第一発見者に偶然なるのだが、もう一人別にゐた同率第一発見者・日高(斎藤歩)に、知夏は知夏こそがハサミ男であると見破られてしまふ。見破られてしまひつつ、知夏は日高をあつさり始末。そこに現れた偽ハサミ男@警視庁のサイコアナリスト・堀之内(阿部)と、堀之内を追つて来た刑事。知夏は堀之内の拳銃で自殺を図り重傷を負ひ、堀之内(彼が偽ハサミ男である旨は、実は所轄に感付かれてゐた)も追ひ詰められドミノ式スーサイド、堀之内は即死する。結局、真相を知る二人が各々死んでしまつたゆゑ、死んだ日高がハサミ男である、といふ方向で事件は処理される、原作はそこまでで終るらしい。
 映画の方はまだ続き、その後病院に入院した知夏のエピソードがある。その件が、原作にはない部分だといふ。加へて私が目にした書き込みでは、それが余計であるとする憤慨が述べられてあつた。が、そこが素晴らしい、入院した知夏のエピソードこそが素晴らしい。原作にはないといふことは、それはわざわざ池田敏春がどうしても描きたかつた節が脊髄で折り返して想像し得る。だからなほさら、といふ訳ではないが素晴らしい。狂ほしいほどに美しく、燃え上がるやうにエモーショナルな一幕なのである。

 知夏の多重人格症は器用な多重人格症で、自殺した父親の別人格と、知夏の元人格は同時に並立する。さういふ現象ないし症状が実際にあるのかどうかは知らないし、この際現実には存在しなかつたとて特に大きな問題ではない。画面の中では概ね常に、知夏の傍らには実際には存在しないトヨエツがあたかも存してゐるかのやうに描かれる。病室で、知夏のベッドにハサミ男も横たはつてゐる。そこに知夏の母親が見舞ひに現れる。ハサミ男<あるいは知夏の父親>は、「それでは僕は消えるね」と一旦姿を消す(知夏の意識の中から消滅する)。のちに、病院の屋上にて知夏はハサミ男と再会する。
 知夏の父親は、借金苦から自殺したものである。だが、知夏は誤解してゐた。知夏は、中学の時から不登校になつてゐた。知夏は父親が飛び降り自殺したのを目撃したショックから、父親が自分を嫌ひになつたから自殺したのだと思ひ込んでゐた。「私が勉強が出来なくて頭が悪いから、お父さんは自殺してしまつたの!?」、「違ふ」。「私が学校に行かなくなつて、髪もボサボサで可愛くないからお父さんは自殺してしまつたの!?」、「違ふ」。身を切られるやうに切なくも、熱く、重い優しさに満ち溢れた遣り取りが胸を貫く。これまで決定的な代表作に必ずしも恵まれなかつたのが玉に瑕とはいへ、麻生久美子の素晴らしさに関しては論を俟つまい。が、更にそれに加へて、麻生久美子のエモーションに引き摺られただけだといつて済ませばそれまでかも知れないが、初めて豊川悦司も普通に高く評価する気になつた。
 自殺した父親の人格を、知夏は自らの中に宿しともに生きる。麻生久美子は最早少女といふ齢ではないが、いはばくるくる少女といへよう。くるくる少女とは、8thアルバム「UFOと恋人」の中に収録されてゐる、筋肉少女帯の必殺曲のことである(詞:大槻ケンヂ/曲:橘高文彦、筋肉少女帯/編曲:筋肉少女帯)。ここでの必殺曲とは、この曲を聴いて魂が震へないやうな腐つた感性の持ち主は、B'Zかサザンでも聴いてやがれ、といふ必聴の大名曲であることをいふ。現実には存在しない、妄想の中の恋人と恋愛をする少女を歌つた曲である。

>くるくる少女は 膨らむ胸に  彼からの電波受信機がある
>アア 天秤座 夜  踊つた二人  夢なんかぢやない
>内面!ぐるぐる  内面!変はつたわ  内面!彼とのおしやべり
>内面!貰つた  内面!プレゼント ママが捨てた
>内面!夢でも  内面!ウソでも 恋してた♪   等といつた大槻の書いた狂つた、そして狂つてゐる分だけエクストリームに美しい歌詞に、橘高文彦がメタル全開の激情的な曲を付けた正しくキラーチューンである。
 
 麻生久美子が素晴らしい。くるくる少女の麻生久美子が素晴らしい。もうどうしやうもないくらゐに素晴らしい。息も詰まりさうなくらゐに素晴らしい。自らの心の中にしか存在しない、自らの心の中にのみ存在する死んでしまつた父親と知夏はともに生きる。危なつかしく、儚く脆い。然し時に、過剰なまでに強い。くるくる少女は他の何者にも依存しない、完全に独立したシステムである、だから弱い。当たり前の現し世とは異なり他の何者とも相互補完しない以上逃げ場がない、だから脆い。だけれども、他の何者にも頼ることなく独り屹立してゐる以上、そこには何程かの強さも同時に存する。全うではないとしても、並の人間には出来ない真似をやつてのけてゐる訳である。さういふ二律背反を、麻生久美子はエモーショナルに体現してゐる。
 原作にはなかつたシーンは更に続く。ハサミ男は、知夏の中に、<知夏の中にのみ生き続ける知夏が高校生の時に死んだ父親>は、もうこれからは独りで生きよ、ともう一度知夏の眼前病院の屋上から飛び降り、今度こそ完全に消滅する。飛び降りる前に、これ見よがしに大きく両腕を十字に拡げ、トヨエツが見得を切る。その姿と90°に開いたハサミのイメージとが、十字架にオーバーラップする。それは、くるくる少女達やくるくる少年達に対する、池田敏春のメッセージなのではなからうか。恐らくは「バトルロワイアル」で深作がガキ共に伝へようとしたのと同様な、熱く重い、次世代に対するメッセージである。「生きろ」だとか「ガンバレ」だとかいふ言葉は大嫌ひなので私は殺されても使はないが、我々次世代に対するメッセージである。俺には未来なんてないけれど、そのメッセージは敢て受け止めさせて呉れ。
 どうも私には、「バットマンリターンズ」や「BRⅡ」や「バタフライエフェクト」のやうに、壊れ気味かもしくは完全に壊れた映画にのみ、といふか映画に特に心を揺さぶられる傾向があるので今回も単にそれだけの、惰性に似た性行に過ぎないにせよ、美しく、素晴らしい映画であつた。やゝもすると、麻生久美子が美しく、素晴らしかつただけなのかも知れないが。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 人妻を濡らす... 悩殺若女将 ... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。