癖の始まりと終わり

2017年2月15日
僕の寄り道――癖の始まりと終わり

午前中、台東区内の出版社で色校正があるので早稲田からやって来るバスに乗って出かけた。バス待ちと乗車中の時間を使って読みかけていた、なだいなだ・吉岡隆著『アルコール依存症は治らない 《治らない》の意味』(中央法規)を読み終えた。

なだいなだ自身は酒を受け付けないからだだったけれど、タバコのほうは自称ニコチン中毒で1日 70 本は吸っていたという。治療中の患者が
「先生がタバコをやめるなら、わたしも酒をやめていい」
と言うので挑戦を受けて立ち、結局患者が先に飲んでしまったのでメンツを保ったが、自分もほどなく1日 70 本のペースに戻ってしまったと言う。

出版社に向かう途中の店頭に人が集まっていた。パイブ片手の紳士の看板があるタバコ店。

ぼくも 2003 年の夏までは1日 70 本のヘビースモーカーだった。それがピタッとやめられたのは母親が末期ガンとわかり、残り半年かもしれないと言われた人生の日々に付き添うことになったからだ。母は少女時代に結核を患って片肺になり、間接喫煙を辛そうにしている人だった。

せいぜい半年の禁煙と思って付き添ったら母は二年間頑張って生き、息子の方は二年間我慢していたらタバコが吸いたくなくなってしまった。途中、タバコ恋しさの禁断症状などないほど、母の看取りに心身とも疲れ果て、母が消えてホッとした部分もあり、気づかぬうちに喫煙癖が終息したかたちになっている。

出版社で色校正を終え、さっき読了した本のことを思い出したので取り出し
「この本は面白い本でした。なださんの書いたものが好きで買ったら偶然御社の本だったんですけど、編集担当は S さんですよね」
と言ってみたら
「いますから連れて来ましょう」
ということになり、大げさなことになった、言わなきゃよかったと恐縮したら運良く休暇中だった。


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匙の頰被り

2017年2月14日
僕の寄り道――匙の頰被り

文京ふるさと歴史館で展示を観た帰り、いつも通り大好きな「万定フルーツパーラー」でカレーライスを食べようと歩いていたら。路地の蕎麦屋前まで来て、この店に友人のカメラマンのお姉さんが嫁いでいると聞いたのを思い出した。

暖簾をくぐり、奥の席に行く途中で客が食べているものを見たらカレー丼が二人もおり、試しにカツカレーを頼んでみたら期待通り和風だしを下味にした蕎麦屋のカレーだった。

それにしてもこのスプーンの紙カバーが懐かしい。昔は蕎麦屋の出前を頼むとネギを刻んだ薬味の小皿、丼物に付く漬物の小皿、そしてカレーライスのスブーンまで、帯状の紙を使って上手にくるんでいた。この万能紙帯を開くとこんな意匠になっている。明治・大正の本郷の町並み展示を観た帰りなのでほのぼのとした。

遅れて入って来た客の声に耳をすませていたら「ぼくは五目やきめし」と注文する若者があり、手元のメニューをひっくり返してみたら今も蕎麦屋のラーメンがあるタイプの店だった。それでカツカレーに中華スープがついたわけだ。また来よう。

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明治・大正の町並みを訪ねて

2017年2月14日
僕の寄り道――明治・大正の町並みを訪ねて

昼休みを利用して文京ふるさと歴史館まで、区制70周年記念事業 ふるさと歴史館 収蔵品展「明治・大正の本郷を訪ねて-『新撰東京名所図会』展2-」を見に行ってきた。目当ての頁に収録された絵がしっかり見られて目的は達した。

明治・大正時代の写真を見ていると、文京区内のどのあたりを写したものかおおよその見当はつく。大きな震災と戦災と経済的人災ののちに現在の町並みがあるわけで、大きく変貌していることは驚くに当たらない。

それでもやはりびっくりしてしまうのは、明治・大正の写真に写っている町にはなんと商店が多いのだろうということだ。あんな裏通りもこんなに商店が建ち並んでいたのかと驚く。平成のいま、軒並み店をたたんだシャッター通りを見て昭和の時代を懐かしむように、昭和の時代の人たちも明治・大正時代の面影を偲んで往時を懐かしんだに違いないと思う。

おそらく個人が争うように開いた店が通り沿いに並び、物品を商って生活を支える暮らしは明治維新から大正にかけて爆発的に増え、震災・戦災・人災を挟みながら昭和・平成とずって衰退を続けているのだろう。

そう思ってみると商店が消えた今の町並みは明治維新の大衆的狂乱以前に戻っただけのようにも思える。そんなことを考えながら、バスの本数も個人商店も減った本郷通りを通って帰ってきた。午後一時をちょっとまわっていた。



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下げ花

2017年2月13日
僕の寄り道――下げ花

わが家族の墓がある静岡県清水の寺は、墓に供えたまま時間が経って古くなった花を捨てるための場所がない。そのための場所を作っていわゆる「ゴミ」を捨てられたくないのだと思う。花はゴミではないので気持ちはわかる。

さいわいにも脇に沢があって枯葉や引きちぎられた草が流れていくので、自然に還れと念じながら役目を終えた花たちを流している。いっぽう寺への道すがらで買った仏花(ぶっか)を束ねた輪ゴムやセロファン包装は、なかなか自然に還りそうもないので持参したビニール袋にまとめている。

墓参りを終えて庫裏へまわり、住職に挨拶しながら「ゴミが出たので捨てていただけますか」と言うのも「ゴミ」や「捨てる」という言葉が適切でない気がする。しかたないので、手に持ったビニール袋が見えるようチラつかせるていると、察した住職や奥様が「ああ、こちらへいただきましょう」とおっしゃる。

|都立染井霊園にできていた下げ花置き場|

あの墓を掃除して取り除いた古い花をなんと表現したらいいのかと思っていたのだけれど、どうやら「下げ花」と言うらしい。花屋さんの前を通るたびに見ていると、生花が仕入れた先から次々飛ぶように売れていくようでもない。傷んで売り物にならない花の入れ替えは大変だろうなと思うのだけれど、花屋でもそういう処分のことを「下げ花」と言うらしい。「ゴミを捨てる」のではないもうひとつのよい言葉を覚えた。


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忘れな草をわたしに

2017年2月13日
僕の寄り道――忘れな草をわたしに

倍賞千恵子が好きなので「忘れな草をあなたに」という歌も好きなのだけれど、忘れな草という花自体の姿かたちをどうしてもおぼえられない。なんども「そうか、これがあの忘れな草か!」と覚えたつもりでも記憶に残らない。

昼休みの散歩に出たら本郷通り沿いにある花屋に忘れな草があり、忘れても忘れても性懲りもなく「そうか、これがあの忘れな草か!」とまた思う。いつまでもいつまでも覚えておける助けになればと、写真に撮ったので忘れな草をわたしに。


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日曜はコメよ

2017年2月13日
僕の寄り道――日曜はコメよ

昼過ぎの散歩を兼ねてバゲットを買いに出たら、日曜日なのに近所にある独立系パン屋がどこも休んでいるので驚いた。最近はそういうものらしい。

ちょっと前まで、日曜は会社も休みなので朝寝坊し、
「朝はパンにしよう」
などと言って散歩がてら買いに出た。日曜日こそのんびり珈琲を淹れてパン食ということが、ちょっとオシャレであったような記憶もある。

そんなわけで日曜日こそパン食という意識が抜けないのだけれど、わが生活圏の住人たちは日曜はパンを食べずにコメ食と決めているのだろうか。コマゴメだし。

休日営業を宣言した診療所

個人店舗が日曜祭日に休まず営業することを、決死の覚悟であるように宣言してもおかしくない風潮となった。「商売人は他人が休んでる時にこそ働くものだ」という意識も後退せざるを得なくなり、買う側だけでなく提供する側も「生活者」として休みたい時代となったのだろう。そしてシステム化されたコンビニが乱立する。


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いぬのきもち ばすのきもち

2017年2月12日
僕の寄り道――いぬのきもち ばすのきもち

毎週末の老人ホーム訪問。施設はバスの終点にあるので、帰りは始発時刻に合わせ、玄関から小走りにスロープを下り、びったり発車時刻に間に合うようにしている。

「待て」を仕込まれた犬を見ていると楽しい。使役犬としてしつけられた犬は、「待たなければいけない」というしっかりした覚悟で待っているように見える。

いっぽう、かつてわが家にいたような遊び犬は、「待て」の試練に耐えた先にあるご褒美を思い出さないよう、なんとか雑念を振り払おうと懸命の努力をし、こちらをちらっと見て視線が合うと、気まずそうに顔を背けたりしていた。

発車時刻に間に合うよう老人ホームを出たら、始発バスが「待て」の姿勢で停車していた。静止を苦にせずしっかりした覚悟で待てているように見えるのは、条例で停車中のアイドリングが禁止されているからだ。きもちの問題ではない。


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時間の見方感じ方

2017年2月12日
僕の寄り道――時間の見方感じ方

本郷通り岩槻街道沿いのビル建設現場では、低層家屋解体後の地中から街道脇にあった江戸時代の町家跡が出土し、調査されている様子をときどき見かける。

丁寧に土を取り除いて露わにされた穴や溝などの遺構を眺めていると、かつてどんな建物がここにあり、どんな暮らしが営まれていたかという「過去」が想像できる。

いっぽうでビルではなく新たな町家をつくるための基礎工事現場を眺めるのも楽しい。この上にどんな建物がつくられ、この先どんな暮らしが営まれるかという「未来」を想像することが可能である。

こういう地表面では、カッコつきの「時間」の見方感じ方が、カッコつきの「いま」を対称面とし、カッコつきの「過去」と「未来」として出土している。

いにしえから哲学者たちが言葉で書いてきた難しい時間論をひとまずおき、時間とはなにか、時間を「物質同士の運動関係」ととらえるか、あるいは知覚による「こころ」のあり方としてとらえるか、散歩途中の気楽さで立ち止まって眺めてみると楽しい。むずかしく考えない、おもしろく見る


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脚の本数

2017年2月11日
僕の寄り道――
脚の本数

「よつあしもんがあるような立派な家」などと世間では富家のことを紋切り的に言う。脚の本数が多い方が門も家も安定して揺るぎないように見える。

公園のベンチといえば四本脚と思っていたのだけれど、二本脚のベンチを初めて見た気がする。「公園のベンチ」で画像検索するとさまざまな二本脚ベンチがあるので、目の端にとらえて見たことはあっても、あらためて違和を感じたことがなかっただけかもしれない。この日この時の見る角度や光線の違いもあるだろう。

二本の主柱の上に切妻屋根をのせた棟門(むねもん)は倒壊しやすい。積み木遊びの経験を通して大概の人にはそう見える。倒壊しやすいので支柱を二本添えると薬医門(やくいもん)になる。ベンチもそういう構造のほうが腰掛けて安全な気がする。

四脚門(よつあしもん)とはそういう添え柱を、二本ある主柱それぞれの前後に配したものなので総本数は六脚になるけれど、主柱二本は門を支え、残り四本の添え柱を脚と見て四脚門という。

主柱二本だけのベンチは部分疲労によって壊れやすそうな気がするのだけれど、子どもがのって飛び跳ねた程度では破損しない強度を前提として児童公園に採用されているのだろう。それでも眺めていて不安を拭い去れないのは根が臆病にできているせいかもしれない。四脚ベンチのある立派な公園、などと紋切り的に思ってしまう。



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京浜東北線とヴィヴァルディ

2017年2月10日
僕の寄り道――京浜東北線とヴィヴァルディ

東大井にある出版社で打ち合わせがあるので、下り京浜東北線に乗って大井町駅で下車した。ホームをエスカレーターまで歩いていたら
「♪タタラッタ タタラッタ タタラッタッタ〜」
と発車メロディが流れ、なんとヴィヴァルディの『四季』より「秋 第三楽章」だった。

「タタラッタ タタラッタ タタラッタッタ〜」
を聴きながら、なんで大井町駅がヴィヴァルディなんだろうと考えつつエスカレーターに乗ったら、ホーム反対側の上り電車も発車時刻となり、そちらは『四季』より「春 第一楽章」だった。上りが春で下りが秋になっているわけだ。

東大井の児童公園にて

気になるので出版社社長に
「どうして大井町駅の発車メロディはヴィヴァルディなんですか?」
と聞いたら、ヴィヴァルディであること自体に気づかなかったらしい。地元民とはそういうものだ。

余所者は帰宅しても謎が解けないのが気になって仕方なく、調べたら大井町駅近くにミュージカルシアター 「四季劇場」があるからだった。なるほど〜やられたな〜と思ったせいか、
「♪タタラッタ タタラッタ タタラッタッタ〜」
が耳について離れない。


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四十数年振りの現像

2017年2月9日
僕の寄り道――四十数年振りの現像

高校で写真部員だった頃は ASA(ISO)400 のモノクロフィルムを 6400 まで増感現像し、早いシャッターが切れるよう感度を高く設定して使っていた。高校生がカメラをぶら下げて町歩きするには、登校前か下校後の薄暗い時間帯しかなかったからだ。

ピント合わせはもちろん、露出もシャッタースピードと絞り操作による手動なので、露出に失敗したフレームがたびたび発生し、ネガフィルムを見ると露光オーバーだと真っ黒、露出不足だと真っ白になっている。それらのフィルムもすべてフィルムスキャナを使ってデジタル化してある。

高校時代、1970 年から 73 年までの写真を整理しながら、ふと思いついき Photoshop を使って露出失敗の写真が救済できるか試してみた。露光不足で真っ白(スキャンしたデータは反転しているので真っ黒)なフレームは難しいけれど、露出オーバーで真っ黒なフィルムをスキャンし、明るさとコントラストを組み合わせてレベル調整すると、写っているものが判別できることを主眼とすれば、かなり救済できることがわかった。こんなスキャンデータにも画像情報はちゃんと記録されている。

高校生にとって高価な印画紙を使っての救済は現実的でなかった。それゆえ思いつきもしなかったのだけれど、パソコン暗室なら簡単にできるとわかって感動した。これは静岡県清水市のさつき通り。左のペブシの看板に「さくら」とあるのは東映映画館のさくら劇場。左の道へ折れれば清水市役所、通りを渡った右側には花菱百貨店、道路には清水市街線の路面電車が走っていた。その歩道を外国人カップルが歩いている。

 

よくこんな写真を撮ったな、高校生なのに意外に度胸があったんだなと驚いた。なにしろ撮影して以来、昨日初めて見た写真なのだ。四十数年振りにコンビュータを使って現像し直したことになる。

 

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あっ そうか!

2017年2月8日
僕の寄り道――あっ そうか!

(前の日記の続き)何かの拍子にパチッとスイッチが入って「あっ そうか!」と思うのは、無から有が生じる現象ではなくて、以前からある何かと何かが不意に繋がった瞬間なのだろう。

「あっ そうか!」とスイッチが入って仕事を始めると、つぎつぎにうまい具合にアイデアが湧いてきて、「どうしてこんなことに今まで気がつかなかったのだろう」と不思議に思う。「あっ そうか!」の種は昔から自分の周りにあったのに、あれとこれとが結びつかずにいただけなのだ。

富山に初めて行った冬の日、たしか荒町というところにある『あそか』という餃子屋に連れて行ってもらった。富山は漢方薬の町であり、義父はその薬剤師をしていたこともあり、食べた餃子は薬膳料理のような不思議な味がした記憶がある。うまい感想が言えなくて申し訳なく、そのまま二度と連れて行ってもらうこともなかったけれど、今にして思えばもう一度食べてみたい面白い餃子だった。

お釈迦様は菩提樹の下で悟りをひらき、沙羅双樹の下で入滅したが、生まれたのは無憂樹(むゆうじゅ)の下で、その木の別名を「あそか」という。ふと餃子の「あそか」と繋がって「あっ そうか!」と思うけれど、店名の由来がインド仏教と関係あったのかどうかはわからない。お店はもうないらしい。

かつて「NHK みんなのうた」で「あっ そうか!」という秀逸な歌を聞いたことがある。もう一度聞いてみたいけれど歌自体はみつからず、作詞・作曲がなかにし礼だったということがわかった。それにしてもいい年をしてなぜ「NHK みんなのうた」なんて見ていたのだろうと調べたら、放送は 1986 年 4 月から 5 月ということで、脱サラして自由業になった直後で暇だったのだ。「あっ そうか!」と思う。


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ゼンマイとおっさん

2017年2月8日
僕の寄り道――ゼンマイとおっさん

子どもの頃から、何かの拍子で不意にパチッとスイッチが入ることがあった。「あっ そうか!」と思った瞬間なんだか急に嬉しくなり、それまでならきっとやらなかったようなことに、夢中になり嬉々として取り組めるようになる。

そういうスッチが入って推進力を得るようなことを何度も繰り返して大人になったのだけれど、おっさんになってからは、なかなかそういう児童的な自動現象が起こらない。

だいたいおっさんになると、生来の能力としての天賦の才がすでに枯渇しているのだろう。それで仕方なく自分で自分のネジを巻き、或る日突然留め金がはずれ、巻いたぶんのゼンマイが反発する力によっておっさんは滑走する。おっさんは努力なしには進めない。

このところ生態学的なとか、エコロジカルなとか、環世界的なとか、ギブソン的なとかいったものに興味があり、そういう同じようなことを言っていると思える人がやさしく書いたものを、手当たり次第に取り寄せて読んでいる。

河野哲也に Kindle で読める『意識は実在しない 心・知覚・自由 』(講談社選書メチエ)があるのを知ったので寝転がって読んでいる。読んでいるうちに「あっ そうか!」とスイッチが入り、急に嬉しくて眠れなくなり、昨日は目が覚めてから急いで仕事場に行き、昼食もとらずに熱中して作業した。

どうしてあの「あっ そうか!」からこんな推進力が発生したのか、そのあたりを再読してもよくわからない。よくわからないけれどいまだに嬉しくてたまらないので夜中に起きてこんな日記を書いている。そしてまた「あっ そうか!」と思うのだ。


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塩の道

2017年2月6日
僕の寄り道――塩の道

『秘境はるか 塩の道 秋葉街道』という貰い物の本がある。酔っ払いのカメラマンが酔っ払ってつくった酔っ払いの友人の家に遊びに行ってもらってきた。有賀競(きそう)・文、野中賢三・写真・イラストによる B5 判 194 ページの本で、お二人が自費出版されたものらしい。


かつて信濃に塩を運んだ道を実際に歩き、写真と文と手書き地図で記録された大変な労作で、仕事の合間に眺めていても飽きることがない。書名検索すると同様の感想を書かれている人が何人かおり、どうやら国立国会図書館にも収まっているらしいのでちょっと安心した。


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ハナタレ

2017年2月5日
僕の寄り道――ハナタレ

宮崎県、黒木本店のハナタレが手に入ったのでみんなで飲もうということになり、マンション住民仲間の部屋に集まってご馳走になった。アルコール度数が 44 もあり、冷凍庫に入れておいたウオッカのようなとろみを感じた。

|特養ホーム訪問帰りの電車は大宮始発なので必ず座れ、必ず座ると寝てしまい、飛び起きて下車すると世界はこんな風に見える|

友人の息子がハナミズと言い間違えて笑ったが、自分もまた洟たれ小僧のハナタレだと思っていた。老人ホーム訪問帰りにスマホで調べたら、蒸留する過程の各段階を、初垂れ(ハナタレ)、本垂れ(ホンダレ)、末垂れ(スエダレ)と言うらしい。他人を笑えない。


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