初亀

2015年4月15日
初亀

01
清酒「初亀」は藤枝市岡部町にある初亀醸造株式会社の酒で、何度か飲んだことがあるけれど大好きな郷土の銘酒である。初亀という名前がなんともめでたいが、その名の詳細な由来についてはまったく知らない。

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今年は桜開花直後から天候不順となり、雨が降り続いたり冷え込んだりしている。きょう四月十五日は朝から快晴でポカポカと暖かいが、昼前から気象状態が荒れ模様となり、激しい雨や落雷、雹などにも注意が必要だという。


03
晴れて暖かい午前中のうちに六義園内を散歩したら、ことし初めて亀が池から這いあがって甲羅干しをしていた。池の中を泳ぐ姿はまだ見ていないので、先陣を切って春にめざめた亀たちかもしれない。

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春に一番乗りをして気持ちよさそうな亀たちを見ていたら、ふと初亀という言葉を思い出した。そしてひどくめでたい光景を見たようで嬉しい。

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連泊

2015年4月14日
連泊

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新潮文庫の『司馬遼太郎が考えたこと』は全十五巻もあるので、ときどき読み返してみたい部分を思いついても探すことが難しい。電子書籍がありがたいのは全文検索機能が使えることだが、紙の書籍だとそうはいかない。

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取材で国内を旅しても目的の土地には泊まらない、泊まると情がうつって客観的に書くことができないという意味のことを司馬遼太郎は書いていた、ような気がする。「ような気がする」が気になるので、本当にそう書いていたのだろうかと確かめてみたいのだけれど探すのが面倒くさい。

03
見知らぬ土地に着いて宿をとり、風呂に入って食事をとり、床について目がさめた翌朝は、確かに昨夜の到着時と気分が違っている。宿の支払いを終えて、土地を引き払うときなど、微かな愛着が残ることすらあるので、泊まると情がうつるということは確かにあるかもしれない。

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確実にそういう現象を実感するのが連泊というやつで、一夜を過ごした宿とその周辺で終日過ごし、もう一泊する夜には妙に慣れてしまい、客室は自分の部屋、旅館は我が家、土地は故郷のように思えたりするといった、緩んだ馴れが生じている。

05
犬も三日飼えば恩を忘れずというけれど、人はひと晩ふた晩で土地に愛着する。そういう甘ったれた倒錯もまた旅の愉しみと感じるので、連泊を目的のひとつにした旅でもたまにはしてみたい、などとふと思う。

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ほらね

2015年4月13日
ほらね
 
01
古びてきて、次第にバラバラになりつつある本がある。本の修繕を頼むと数千円はかかるそうなので、バラバラになったページをスキャンして OCR にかけている。
 
02
本をスキャンして電子書籍化することを「自炊」という。本をわざわざ裁断までしてコンピュータで読むことにはまったく興味がないのだけれど、崩壊していく本の仮復旧工事として一つの方法だとは思う。
 
 
03
郷里静岡県清水。帆掛山中腹にある霊山寺。国の重要文化材に指定されている藁葺きの山門まで、麓から続く参道に桜が咲いていた。
 
04
もう十数年前になるけれど、母親とあの桜を見上げ
「いつ頃あの桜は植えられたんだろうね」
と言ったら、母が不機嫌そうに
「ずっと昔からあるよ」
と言った。親の「ずっと昔」は息子の昔より古いはずだけれど、自分の覚えている「ずっと昔」にすら桜の記憶はない。
 
05
たとえ親であっても間違っていたら間違っていると指摘するべきだと思うけれど、当時の母は余命いくばくもないガン告知を受けており、そんな病人を言い負かすのは親不孝と思えたので
「はいはい、わかりました、あなたの言う通りです」
とは言わないけれど、黙って反論をこらえてのみ込んだ。
 
 
06
古びて解体していく本をスキャンし、テキストデータになったものを念のため校正していたら、まさにその回答が書かれていた。
 
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「昭和四十九年から五十一年にかけて、その時の自治会長、塩田の栗田貞三さんや藤牧畔公民館長の世話で、高部青年会が協力して、檀家総代の大木政雄さんや大木義雄さんの尽力で植えられたものである。サクラが三〇〇本、ツツジは五〇〇本で、春から五月にかけて登山道を飾ってくれ、いまでは名所の一つになった。その中のシダレザクラは大木政雄さんと大木茂太郎さんが寄付したものである。毎年、檀家の人たちの手で消毒をしたり肥料をやっている蔭の苦労を忘れてはなるまい。五十八年、その功績を認められて「日本さくらの会」から全国表彰を受けた。」(『続 高部のあゆみ その一 わがまち思い出ばなし』高部まちづくりの会)
 
08
その翌年夏に他界した母に言ってみる。
「ほらね」
 
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風景と記憶

2015年4月12日
風景と記憶
 
01
もう半世紀以上も前、幼児の記憶に焼きつけられたまま、いまも当時と変わらない風景が郷里に残っている。この国に遠路を行く人の旅が生じたはるか昔から、数知れぬ人たちが通ったと思われる古道なので、いわく言いがたい不思議な気配が漂い、幼心にもぞくっとする気分の場所だった。
 
02
帰省時に通りかかるたびに、風景が変わりないことを喜びつつ、人が着実に年を取っていくことの寂しさも感じる。この辺りをともに歩いた、祖父母や、両親や、叔父叔母たちももうこの世の人ではない。
 
 
|静岡市清水区能島|
 
03
今年は珍しく春らしい時期に通りかかったら、いつもと気配が違うのでびっくりした。こんなところに桜の木があっただろうか、一体いつ頃からあるのだろうと思ったら、見慣れた風景に血が通ったような新鮮さがある。季節ごとに咲く花はありがたいものだ。
 
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ちいさな手

2015年4月9日
ちいさな手
 
01
たとえ美しい蝶であっても、幼い時代のイモムシ毛虫は、体についたらびっくりし、反射的に払い落とさずにいられない。かたやカマキリの子どもは幼い頃から大人のカマキリの縮小版なので、払い落とすことなどできないほどかわいい。極小のカマキリ・フィギュアたちは、みんないっちょまえにちいさなカマをふりあげている。
 
02
赤ん坊の生まれたては真っ赤な顔をした猿に似ていて、お世辞にも可愛かった試しがないけれど、その手のひらや足は大人のそれの縮小版なのでひどくかわいい。顔は猿でも手足だけ異様にかわいくて、思わず「わーっ」と声が出る。

03
桜が散り始めると本郷通りのイチョウが芽吹き始める。木々一般の芽吹きを「かわいい」と感じることはあまりないけれど、この季節、イチョウの若葉を見ると「あっ、かわいい」と思う。

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カマキリも、人間も、イチョウも、生まれたばかりのそれは、強い大人そのままの縮小版であることによって、小さいがゆえの弱さを主張しており、そのどれもがちいさな手を差し出して惻隠の情をさそう。

 
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忍法帖と年表と闘病記

2015年4月8日
忍法帖と年表と闘病記


01
山田風太郎『戦中派不戦日記』を電子書籍で少しずつ読んでいる。昭和二十年、二十三歳の医学生だった著者がいかに明晰な考えの持ち主だったかがよくわかる。

 
02
末期ガンの告知を受けた母親に付き添った二年間では、思いがけないこともたくさん聞いた。母が読書好きだったという意外な事実もその一つで、どんな作家が好きだったかと聞いたら、答えの中に山田風太郎もいた。
 
03
山田風太郎の作品は読んだことがないが、確か忍法に関する本があったという記憶だけで判断し、十代を肺結核で寝て過ごした母は、気晴らしにその手の本を読んだのだろうと思っていた。
 
04
明晰な山田青年は1950年、28歳で東京医科大学を卒業している。その後、自らを医者に不適格と判断して分筆の世界に入るが、『甲賀忍法帖』を発表し忍法帖もので流行作家となるのは1958(昭和33)年以降であって計算に合わない。
 
05
そういえば幼い記憶の中で、両親は娯楽時代劇をオールナイト興行で観るのが好きだった。母はおそらく息子の世話から解放されると、海苔煎餅をかじりながら大好きな山田風太郎の忍法帖ものを読んでいたのだろう。
 
06
医者を断念するのは惜しいと思うほど明晰な山田青年も歳をとり、病身となった自分について書いたエッセイ集『あと千回の晩飯』があるというので電子書籍で買ってみた。
 
07
母と山田風太郎に関する年表の記憶を修正し、ついでに書棚を見たら、昭和16年12月8日の開戦の日と、昭和20年8月1日から15日まで、膨大な記録をまとめた『同日同刻』が電子書籍になっていたのでそれも購入した。
 
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大と小の兼ね合い

2015年4月7日
大と小の兼ね合い
 
01
夜中にふとんの中で「おなら」と打って検索したら、結果の二番目に「屁 - Wikipedia」という項目があって笑った。その時はおかしくて笑ったけれど、あとで読み直してみると別段おかしくない。
 

02
「屁 - Wikipedia」にある「大人は普通一日に合計0.5~1.5リットルの量の屁を5回から20回に亘って放出する」という譬喩を用いない解説は、スカッとしていて気持ちいい。

 
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女子は腰を下ろしてから「大」か「小」を決めればいいので便利だと男子は言い、男子は「小」だけのときはお尻を出さずにすむので羨ましいと女子は言う。
 
04
男子ひとたび「小」と決めれば「大」はこらえるもので、ふつう「小」は「大」を兼ねない。兼ねてしまったら大変なことになる。
 
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「小」は「大」を兼ねないけれど、「小は」実弾のない空砲を兼ねることがあり、これをいま仮に「中」とする。「大」と「小」を兼ねる女子にとって「中」の存在はさほど問題でない気がするが、横並びオープン形式の男子は「中」の始末に困る。
 
06
空砲である「中」は無音化されることが好ましい。一日に合計0.5~1.5リットルの量を5回から20回に亘って放出するのは女子も同じだろうから、無音化にしくじっても女子は個室であることによって救われている。
 
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両隣に人がいる男子の場合「小」だけ済ませ、場所を変えて人がいない場所で「中」を放出したいのだけれど、どうしても「中」は「小」の先に立ちたがる。
 
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「小が先で中は後から!」と心の中で担当部署に言い聞かせるのだけれど、「中」の前に「小」を出すのは至難の技であり、なんとか騙しだまし「小」を先に放出し始めたところで、緊張が緩んで「中」の音付きが続いてしまう。
 
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一方で規律を弛めながら、他方を引き締めることはできないのであり、男子トイレ「小」ではときおりそういう敗けいくさの空砲が響いている。敗軍の「小」、「中」を語る。
 
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花と大仏

2015年4月7日
花と大仏
 
01
与太話に花が咲きはじめると加速して止まらない仲間が六人集まって、花見を口実に池袋駅西口地下二階の居酒屋で飲み会をした。
 
02
陸上の桐生祥秀が、アメリカで開かれた大会の男子100メートルで、追い風参考記録ながら9秒87を出した話になり、最近の陸上選手は筋肉隆々なのが意外だと妻が言う。
 
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陸上短距離の選手にとって上半身の筋肉を鍛えることは大切で、速そうに見える容姿というのは昔から見るとかなりずれているという話になった。
 
04
たとえば奈良の大仏だって、立ち上がって陸上短距離100メートルに出場したら思いがけない記録を出すかもしれない。ああいう体型の選手が、首に下げた数珠を左右に揺らしながら、並み居る強豪選手を振り切って世界記録を出す可能性もあるという話になって笑う。
 
05
ナチス政権下ドイツで開催されたベルリン五輪。1936年8月11日、日本女子初の金メダルを手にしたのは水泳200メートルに出場した前畑秀子だった。NHKの河西省三アナウンサーは「ガンバレ」を24回、「勝った」を14回絶叫した。
 
05
「大仏リード、大仏リード、大仏ガンバレ、大仏リード、ガンバレ、ガンバレ、リード、ガンバレ、ガンバレ、あと5メーター、あと5メーター、勝った、勝った、勝った、勝った!大仏勝った、大仏勝った!」大仏の快挙を報じる中継放送をまねして笑い転げ、結局閉店まで飲み続けたのだった。よい仲間である。
 
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「春深し」がおかしいわけ

2015年4月6日
「春深し」がおかしいわけ
 
01
気象予報士が、「明日は気温が下がって三月に逆戻りしたような陽気となるでしょう」と言っても、少し厚着をして出かけると意外に暖かく、汗ばんで帰ることが多くなった。そういうギクシャクした動きを繰り返しながら季節は春から夏へと向かう。
 
02
季節を深浅であらわす用法は「春深し」「夏浅し」「夏深し」「秋浅し」「冬浅し」「冬深し」も季語として用意されているのだけれど、「春浅し」と「秋深し」だけが図抜けて一般的なのは、おそらくそれが溜め息としての歌と親和性が高いからだろう。
 
 
03
俳句とは溜め息のようなものであり、溜め息をつきたくなるのは、夏の空高きをもって貴きとなし、冬の空低く垂れ込めたるを見て寂滅を思う、人の見方感じ方に原因があるのかもしれない。
 
04
「春も深まり…」と書いてみると、ちょっと違和感を感じる季節である。木々の芽吹きが目に鮮やかで、眺めていると身体がちょっとむず痒い。
 
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こころと身体

2015年4月5日
こころと身体
 
01
ネット検索の途中で、ふと森田正馬により創始された神経質に対する精神療法「森田療法」を知り、これはおもしろいと思って何冊か本を読んだのが2014年のことだった。検索で目にとまった面白さの断片とは、自分の不安や恐怖を解消しようとはせず、こころにある不安と恐れをそのままにしつつ、為さざるをえない行動へと身体を投じよという「あるがまま」の方法論だった。
 
02
一人っ子の母子家庭育ちで親からあまり手をかけられなかったせいか、不安や恐怖に悩むと、自分ひとりが他人と違って特異であると思いがちだった子ども時代を過ごした。自分に打ち勝って前進するため、くじけそうな自分を叱咤激励して頑張ってきた方法そのものが、ここには書かれていると驚いた。身体を先行させればこころは身体についてくる。こころで悩むことばかりを先行させるから、身体がついてこられなくなってさらに辛いのでやめよう、身体から先に飛び込もう、というのが手探りで見つけた「あるがまま」に通じる子どもの生き残り術だった。
 
03
過去にしろ未来にしろ、後ろ向きであれ前向きであれ、そういう「考える」ということの前に、まず身体を動かすことを割り込ませて先行させることこそが、もっとも頼りになる不安や恐怖の解消法であり、亡き祖父母も母も、口下手ながら同じ意味のことを言って実践していた。考える前に身体を動かせと。
 
04
子どもの他愛ない実験だけれど、人間は身体を動かしながら後ろ向きの不安や恐怖で心を満たすことができない。なぜか自分はできない。というわけで子どもながらに正鵠を射ているのではないかと思うのだけれど、実際に実践するのは難しく、いまでもときおり悩みを抱えては思い出し、負うた子(自分)に教えられて浅瀬を渡っている。
 
05
本を読んでいたら次から次へと雑念が湧き上がって本の中身が入ってこない。これではダメだと集中を試みるとたまらないほど眠くなる。もうダメだと思い、椅子に座ってこっくりこっくり居眠りし、体がガクッと来てハッと目をさますと、頭がシャッキリして気持ちがいい。その状態で先ほど読みかけた本に戻って読んでみると、実に当たり前のことが平易に書かれていて、ちっとも難しくなんかない。
 
06
思うにまかせないこころをなんとかしようと、「これではダメだと集中を試みる」というのもこころにこころをもって対処しようという愚行かもしれない。本が頭に入ってこないなら、ちょっと寝てみるのが総合的な能力回復法であるように思う。
 
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読書で集中を欠くのは雑念のせいで、雑念の発生源は身体だと思うのだけれど、その雑念とこころの戦いにとらわれると「雑念恐怖症」と呼ばれる症候に陥るらしい。雑念恐怖を検索してみたら「外相もし背かざれば、内証必ず熟す」という言葉に出会い、これもまた「身体を先行させればこころは身体についてくる」だなと我が意を得たので日記に書いておく。
 
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バラ科の唄

2015年4月5日
バラ科の唄

01
山田風太郎『戦中派不戦日記』を電子書籍で、調べ物の寄り道をしながら少しずつ読んでいる。昭和二十年の日記は二月、三月を過ぎ、とうとう七十年前のきょうを追い越した。激しい空襲がつづく最中も桜は咲いていた。

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「目黒の坂の桜、きのう雨中に満開の日を過したるとみえ、きょうはすでに散りはじむ。風も強し。下枝にははや青き若葉萌え出でたり。(中略)春風はげしく埃をまいて虚空に上り、陽に映えて金色の竜巻のごとく、ゆく人花を満面に吹きつけられてしかめ顔するが可笑し。」(山田風太郎『戦中派不戦日記』昭和二十年四月十一日)

03
老人ホーム前に植えられて心細げだった桜の苗木も、五、六年顔を合わせているうちにすっかり腰が据わり、いつもの春なのに今年は堂々たる開花時期を迎えている。去年も、おととしもこの坂を登りながら同じ花を見ているのに、「この子はこんな咲き方をする桜だったんだなぁ」などと、あらためて感慨深い自分がおかしい。

04
「花の下ゆく人、春来れる明るさと、運命の日迫る哀痛の表情溶け合い、またこれ雨にけぶりて、ふつう日本人に見られざる美しき顔を生み出せり。」(山田風太郎『戦中派不戦日記』昭和二十年四月九日)

05
義母の居室からベランダに出て老人ホームの庭を眺めると、いち早く芽吹いて花をつけたカリンに続き、ヒメリンゴも小さな若葉と蕾を枝えだにもっている。

06
まいとし、カリン、ユズ、ヒメリンゴと実をつける果樹の並んだ姿を見ていると、真ん中のユズだけが芽吹きも開花もひどく遅い。今日もまだ、草臥れた葉っぱと、蜘蛛の巣の残骸と、乾涸びた実を枝にぶら下げたまま、苦虫を噛み潰したような顔をしている。

07
花に顔があると感じるのは不思議だ。花に気持ちがあるかのように、喜怒哀楽の表情をつくりながら対面している人間の方が、こちらを見つめる花の顔を勝手に思い浮かべてしまうのだろう。

08
カリンとヒメリンゴに挟まれたユズに比べて、バラ科の花はみな屈託がなく天真爛漫な笑顔をしている。サトウハチロー作詞による戦後初のヒット曲『リンゴの唄』登場まで、『戦中派不戦日記』はあと六ヶ月になっている。

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駅前回帰

2015年4月4日
駅前回帰
 
01
親たちの介護と看取りが終わりに近づいたら、自家用車を持っていることの必然性をほとんど感じなくなったので処分した。安さを売り物にして競争する長距離路線バスもなんだか危なっかしい気がし、最近は鉄道ばかりを利用するようになって、暮らしから自動車が縁遠くなっていく。自分の人生におけるモータリゼーションの時代は、家族が小さくなるとともに、ごく自然な終息を迎えたように思う。

02
鉄道に依存することで、必然的に駅前という場所に回帰してみると、そこが喜びも悲しみも含めて、人生の始まりや終わりの場所であった頃のことを懐かしく思い出す。人生という列車に、乗車したり降車したりする場所が駅だったわけで、自家用車が手の届きにくい夢だった世代にとって、駅前には甘酸っぱい思い出がたくさん染みついている。
 
 
03
駅前周辺がシャッター通り化した街は多い。再活性化を目指す取り組みもうまくいっていないケースの方が多い。とはいえモータリゼーション離れは少しずつ進行しており、わが住まいのあるマンションも、住民のための駐車場にできた空きが埋まらず、増えるばかりで問題になっている。
 
04
人が共有する場所に何が求められているかを考えると、昔の状態に戻すという発想は無効である可能性も高い。焼け野原に人が集まって新しい街ができたように、綺麗さっぱり何もない状態こそがまず求められるものである可能性も高い。そこからまた何かをつくるだけでなく、つくらないという選択もある。
 
05
改札を出たら昼時だったので、江尻口からバスに乗る前に、海側のみなと口から空き地広場に出た。テーブル付きベンチに腰掛け、広場を駆け回る子どもたちを眺め、海風を感じながら、駅売店で買った寿司とお茶で昼食にした。究極の共有スペースは空が広い。
 
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瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず

2015年4月3日
瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず
 
01
4月2日、今年初めての墓参り帰省をしたら梨畑で白い花が美しい。静岡市清水区大内、ここは昔から梨作りが盛んだった。
 
 
 
02
あまりにきれいなので樹上に手を伸ばして写真を撮っていたら、作業中のお百姓がジロリとこちらを見たのがわかった。
 
 
03
もう一つの梨畑では、猫一匹這い入れないよう側壁がネットで覆われている。中で動くものがあるので覗き込んだらニワトリの放し飼いをしているのだった。
 
 
04
「瓜田(かでん)に履(くつ)を納(い)れず、李下(りか)に冠(かんむり)を正(ただ)さず」というけれど、このあたりでは梨畑で手をあげれば梨泥棒、梨畑でしゃがみ込めば卵泥棒と間違えられるわけだ。
 
05
秋になると梨の無人販売をしているけれど、梨畑で暮らすニワトリの卵を食べてみたい。おそらく我が家と同じ寺の檀家のはずなので、住職に探りを入れてみよう。
 
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床屋とため息

2015年4月1日
床屋とため息

01

年をとって身体が動きにくくなり、病気で震戦のある義父がお世話になった近所の床屋に、義父がいなくなったのちもしばらく通っていた。散髪してくれながらご主人は、義父の思い出話を語り、施設介護になった義母の消息話を聞きたがり、そして自分の老後の不安を語り出すと、最後はきまって小さなため息をついていた。


02

程なく店をたたまれてしまったので(2012年)、少し遠くの店を選んで通い始めたら、その場所で三代続いている古い床屋だった。三代目はまだ若く、混んでいるときは二代目である父親が店に出てきて息子を手伝っていた。


03

最近二代目を見ないと思い、常連客との会話に耳をすませていたら、肝臓の具合が思わしくないらしい。三代目がカットをしている間に、二代目の妻であるお母さんが、床掃除をしたりシャンプーをしたりするのだけれど、なんどかため息をつくのが聞こえた。

04

人が自分を制御するためにはアクセルとブレーキが必要で、ため息はブレーキの役割に近い。ため息をつくとお腹から息を抜くことになり、そのことによって副交感神経を活性化してリラックスすることで、ため息はストレスにブレーキをかけている。


05

正岡子規伝を何冊か読んだら、俳句とはため息のようなものだとあって、なるほどなと思う。和歌が意味を構築する攻めの構造を有するとすれば、俳句は意味から逃走していく解体の技法なのだろう。


06

人間のアクセルとブレーキである交感神経と副交感神経は、闘争と逃走の神経と呼ばれ、英語では Fight and Flight と言う。ため息は、逃走する副交感神経の働きを助け、不安を抑えるために詠まれる、まさに俳句のようなものだ。

 

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