電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
自由を拾う
2014年6月17日(火)
自由を拾う
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子どもの頃から小石を拾うのが好きで、とりわけ執着があって捨てられなくなったものは、ズボンのポケットに入れて持ち帰り、取り出すのを忘れたまま洗濯に出してよく叱られた。
01
石というのは時の流れに逆らって永久不変の姿をしているように見えることで、信仰の対象となるくらいに人を超越した小さな自由であるともいえ、この小さな自由は自分にとってかけがえのない大切な物であると宣言しても、小石の私有などに誰も異議を申し立てることはない。
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さすがに子どもの頃ほど積極的に小石を拾うことがなくなり、拾っても持ち帰ることはさらに少なくなったけれど、数年にひとつくらいポケットに入れて持ち帰ってしまう小石がある。
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この小石は 2012 年の夏、編集委員をしている雑誌の取材で郷里静岡県の興津川上流をひとり歩きしたとき、武田氏がひらいたと伝わる峠越え道四十坂をめざす布沢川沿いで拾ったものだ。
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道の真ん中に車がはね飛ばしそうな小石が転がっていたので、路肩山側に蹴り出したが、ころころ遠くまで転がっては道の真ん中に戻ってくる。そういうことをなんど繰り返しても、戻ってきては行く先で待ちかまえているので
「そうか、お前は一緒に行きたいのか」
と心の中でつぶやいて、ポケットに入れた。
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みごとに踏み分けられたつづら折れの四十坂を登ったら尾根沿いに山の吉原(清水の年寄りは東海道吉原宿と区別してそう呼ぶ)に出たので、伊佐布、庵原を経由し、坂道をころころ転がるようにして清水平野に戻った。
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自由というのは自らすすんで縁を感じ、そっと拾ってポケットに入れ、ころころ転がりながらともに歩む小石のようなものであり、伴侶とはそもそもそういうものだ。
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コメント ( 4 ) | Trackback ( )
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心平記念館に行くと、つねに身近にあったという大きな灰皿(?)に
様々な小石が入れられて、展示されています。最初は自分が気に入った路傍の小石を入れていたようですが、それを知った友人、知人たちが、心平への土産に、世界各地から拾い集めてきたようです。植村直己さんからのエベレストの石もあったと記憶しています。
私も手の届く範囲に、十数個の小石がありました。会社のデスクの上にも文鎮代わりに2つ、置いてあります。
草野心平は聞いてみればそう不思議でもないけれど、知らなかったのでちょっとびっくりです。
思わぬ身近なところにもいてうれしいです(笑)
興津川流域にはよくある岩です。
礫が亜角礫なので、川の上流の堆積物かもしれません。
マトリックスも粗粒の砂岩のようですから、下流域で堆積したとは考えにくいです。
日本平の小石は断層の跡を秘めている時があります。ミクロからマクロへと思考が広がる至高の時ですね。
解説していただいていっそう愛着が深まりました。