明日への日記…52 海苔弁と富士山

 

【朝の螺子締め】12月11日日曜日。 大地震発生。永長(発生時の年号は嘉保)地震でいわゆる東海・東南海地震(1096/12/11 嘉保3/11/24)。駿河でも津波により社寺や民家400余が流失したと記録にある。この2年後に再び、康和地震と呼ばれる南海地震が起きている。

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写植と紙焼きを使って版下作業をしている夢を見た。まだまだ心と体がひと時代前の労働を覚えている。あの時代は単行本2冊同時入稿になったりすると徹夜作業になったものだが、久し振りに深夜労働の長い夢を見てどっと疲れた。毎晩こんな夢を見たら身がもたない。

仕事が忙しく、コンビニに梅干しおにぎりを買いに出る時間も惜しいので、自分用のお弁当を作った。次郎長通り「魚初」に送ってもらったちりめんじゃこと、ゆかりを一緒に混ぜ込んだじゃこ飯の海苔弁当。



12/11 手抜き海苔弁当。



学生時代はラジオを聞きながら勉強できていた気がするが、今は日記や手紙を書くことすらできなくなっている。人の心は厳密にマルチタスクではないと思うのだけれど、若い頃は心も敏捷で擬似マルチタスクが可能だったのかもしれない。年をとってシングルタスクになるのは心の保護機能かもしれない。

1時まで仕事から逃避するため、掃除機をかけ、ゴミ出しをし、買い物をして過ごしたが、悪くない。そもそも家庭から逃げたい男がそのぶん仕事に精を出すことには暗黙の容認があった気がするし、仕事から逃避したい男が家庭のことに精を出すのも良いことだなと思う。パソコン内に逃避するより生産的だ。



12/11 夕焼けが綺麗だった。左端に富士山が見える。
 
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明日への日記…51 大宮の大湯祭(だいとうさい)

 

【朝の螺子締め】12月10日土曜日。松永久秀が筒井順慶の筒井城を攻略、いわゆる第六次筒井城の戦い(1565/12/10 永禄8/11/18)。順慶この時17歳で、その後も波乱の人生だったが36歳で病死。2歳の時に病死した父親が28歳だから若死にの家系だったのだろう。

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今日は土曜日なので老人ホーム訪問日。大宮氷川神社は十日市でお酉さまで賑わう。大湯祭(だいとうさい)というのだそうだが大湯の由来がわからない。時期的に考えると、元は新嘗祭の「大頭祭」なのではないかと思う。



12/10 義母が入所している老人ホームにて。



大宮氷川神社の酉の市「大湯祭(だいとうさい)」は新嘗祭の「大頭祭」だろうと気づいたら、浅草鷲神社(おおとりじんじゃ)の酉の市沿道で、八つ頭を蒸かして売っていたのを思い出した。人の頭になるという縁起を担いだものだと言うが、収穫祭としての起源と「頭」は深く結びついているのだろう。

 
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明日への日記…50 幻の初雪

 

【朝の螺子締め】12月9日金曜日。武田信玄が、北条氏政の正室となった長女黄梅院の安産・無病延命を浅間社に祈願(1557/12/09 弘治3/11/19)。奉納された願文である冨士御室浅間神社文書には、祈願成就の暁に鎌倉往還船津(富士河口湖町)の関所を廃止するとある。

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最近は外で酔うと甘いものを買って帰り、寝る前に馬鹿食いする癖があるらしい。今朝もテーブルの上を見て思い出した。別人格の自分にそういうブタのような行為をやめさせたい。

「なまはげ」を見ると秋田県の子どもは今でも怖がるけれど、他県に連れて行ったら「ゆるキャラ」の一種に見えるらしくそこそこ人気があった、という話を NHK ラジオで聞いて笑った。



12/09 六義園隣接の公園にて。



iOS と Android を使ってみて冷静に振り返ると、紙に描くようにペン(スタイラス)で描く事に関して、Windows Mobile とそのアプリは優れていたと思う。HTC X7501 を最終保存機として再セットアップし、CASSIOPEIA E-65 を探して注文した。

朝8時からの「カーネーション」、ラストシーンでは雪が降っていたが、ふと外を見たら六義園上空にも雪が舞っていた。ほんの数分だけれどこの冬初めての雪を見た。千代田区には降らなかったので初雪には認定されなかった。

 
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明日への日記…49 上野文規さんと過ごす夜

【朝の螺子締め】12月8日木曜日。 六義園主柳沢吉保、57歳にて没(1714/12/08 正徳4/11/02)。


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今夜はバール=タラへ。大阪から上京した友人と3人で飲む会がいつの間にか飛び入りが加わって6名に。もうひと組の予約は元 96 の人(面識はないかも)とのことなので総勢8名に。賑やかな夜になりそうで嬉しい。

新刊本2冊のプルーフが届いた。最近のプルーフは綺麗だなぁと思い、余白に印字された機種名で調べたらファインジェットプルーファーというものだった。元はエプソンが作っている機械らしいがB0プラスを出力できて本体70万円を遥かに切っているんだからすごい。DTP の時代になったら、色校正をしっかり見て修正箇所を探すという行為は、実は自分で自分のポカミスを探すことに他ならないので、あまり身が入らない。

 
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明日への日記…48 冬のヒメツルソバ

 

【朝の螺子締め】12月7日水曜日。殺人を犯し東南アジアに逃亡中の薩摩人弥次郎がマラッカでフランシスコ・ザビエルと会い、日本人初のキリスト教徒となる(1547/12/07 天文16/10/25)。ザビエル日本布教のきっかけ。

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人手不足が怖いので来るもの拒まずで雇用するという介護の現場。働く若者に個性的(発達の遅れに属するもの)な子が増える。できて当たり前と思うこと(介護記録を書くこととか)ができなくて泣いている。雇用の場としての介護現場に二重のまもり構造を考えなくてはいけない。もしかしたらこの子は少し「ゆっくりしたところのある子」ではないかと笑顔や泣き顔を見て思うのだ。



12/07 文京グリーンコートにて。



冬の花壇に不思議な植物画花を添えているので写真を撮り、名前がわからないのでネットに投稿したら「ヒメツルソバ」だと教えて貰った。姫にも蕎麦にも似ていないのでなかなか憶えられない。

 
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明日への日記…47 電球交換と梅干しのおにぎり

 

【朝の螺子締め】12月6日火曜日。鎌倉の円覚寺消失(1421/12/06 応永28/11/12)。再建のための木材は木曾で切り出されて川を下り、筏に組まれ、桑名から太平洋上を曳航されて相模湾に入ったと円覚寺文書にある。

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買い置きしてあった電球が残り少なくなったので、交換がやっかいな場所から順次 LED 電球に代えることにした。初めてなので手にとって眺めていたらオーディオアンプを思い出した。パワートランジスタもそうだったけれど、熱に弱い LED 電球にも、重く立派なヒートシンクがついている。

この忙しいときにハードディスクが逝った!と仰天したら、単に電源が入っていないだけだった…などという時の、自分の間抜け面を直視できる人間であるべし、というのが三方原合戦直後の家康肖像が教えるものだ。

仕事がどんどんたいへんになるので、この人の几帳面さは少し常軌を逸しているんじゃなかろうかと思い、そういう意味で周囲から煙たがられている編集者とは、結果としてよい仕事ができていることが多い。自分で「よい仕事」と思える結果に至る鍵のひとつ。

ひとりの昼食は平日5日連続で梅干しのおにぎりとお茶にする。食への執着がないふりをするのはカッコイイ。継続は力なり、白地に赤は意地を張るのに向いている。コンビニに梅干しのおにぎりを買いに行くのに、今年初めて袖を通すブルゾンを着て行き、ポケットがないので変だなと思ったら、裏返しに着ていた。

 
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明日への日記…46 大宮・富士山・清水

大宮の老人ホームで義母に面会し、そのあと埼玉県志木市の編集者宅で開かれている新築祝いの会にまわった。




12/05 手土産を買いに立ち寄った大宮の花屋にて。



大宮から埼京線に乗って武蔵浦和に向かう途中、高架を走る電車の窓から遠く西の方角に富士山が見えた。

郷里静岡県清水から見る富士山は右肩に宝永の噴火口をのせているが、埼玉から見る富士山では左肩で、ちょうど鏡像になっている。ここと富士山を結んだ線を延長すると、向こう側に故郷があるのだなという感慨も、郷里清水から富士山を見るときは裏返しになり、ここと富士山を結んだ線を延長すると、向こう側に義母が暮らす埼玉の老人ホームがあるんだな、とこれからは思うことだろう。

 
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明日への日記…45 小B6判

 

【朝の螺子締め】12月3日土曜日。浮世草紙の作者兼版元八文字屋自笑(はちもんじやじしょう)の命日(1745/12/03 延享2/11/11)。住まい跡は京都市中京区麩屋町通六角下る西側にあり、「気質物」というジャンルを生んだ上方文化の時代。

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小B6判という書籍サイズがある。英国のペリカン・ブックス174×108mmを参考に決められた岩波新書が当初172×112mmで、現在の新書サイズ182×103mmより天地が1cm低く奥行きが9mm長い。小B6判は174×112mmなので旧岩波新書に近く上製は手に持って気持ちよい。



12/02 都営バス、上富士バス停にて。



一般受けしない本は書店注文かネット取り寄せの時代なのだから、店頭陳列効果などさして意識する必要ないわけで、読者が手にとって心地よいことを重視した小B6判の本作りをしてもいいのではないかと思う。実は子どもたちが夢中で読んでいる、持ちやすいコミックサイズ176×112mmに近いのだ。

 
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明日への日記…44 断片化とtwitter

 

【朝の螺子締め】12月2日金曜日。地球の真ん中にロウソクを立てて回り燈籠を作ったオランダの地図学者メルカトル (Mercator,Gerardus) の命日(1594/12/02 文禄3/10/21)享年82歳。

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毎日日記を書くということを再開してみると、Twitterとは思考のFragmentation(断片化)なのだなと思う。考えたことをつらつらと文章化してみると、Twitterでなら細切れにつぶやいたであろうトピックが、連続したものになっており、Twitterとは断片化した思考を時間軸に沿って並べたものだと思う。

そうやって断片化したトピックを時間軸に沿ってつぶやいていると、まとまりのある文章を書くのが苦痛になり、不思議なことにネットの外の世界まで断片化し、非常に物忘れが多くなる。他人がどうかは知らないけれど自分はそうで、Twitterに気を取られると今さっきまで自分が何をしようとしていたかさえ、忘れていることがあって唖然とする。

Twitterでつぶやいた断片化した思考を並べて、日記代わりにしてみたことがあるが、不思議なことにただ繋ぎ合わせただけではDefrag(断片化解消)にはならない。言葉と言葉の空隙に結着剤としてニカワを流し込むような作業が必要になるわけで、日本語というのはデジタルな煉瓦積み直しのようにはいかない。

 
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明日への日記…43 風邪と火傷

 

【朝の螺子締め】12月1日木曜日。甲斐で武田信玄が誕生した日(1521/12/01 大永1/11/03)。生みの親は大井夫人だけれど、人物像育ての親は『甲陽軍鑑』。

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新しい書籍(『ドキュメント 口蹄疫』宮崎日日新聞社著 農文協刊)の装丁プレゼンのため赤坂まで出かけた。
訪問が昼食時に重なりそうだったので、信濃町にある友人夫婦のネパール料理店『バール=タラ』で先に昼食を済ませた。ネパール料理の店なのだけれど、メニューに加えたとんかつが評判を呼び、このところテレビで立て続けに取材を受けている。

昼食時はいつもガパオ(こちらもネパール料理ではないが…)を食べるのだけれど、評判のとんかつの味が落ちていないかチェックするため久しぶりに食べてみた。相変わらず美味しかったので安心して完食し、腹ごなしに赤坂まで歩いて移動した。



11/30 高橋是清翁記念公園。



帰宅後、のどの奥がひりひりと痛いので風邪をひいたのかと思い、丁寧にうがいをしたけれど就寝前にはかなり痛くなっていたので、買い置きの風邪薬(全薬工業株式会社の新ジキニン顆粒+新リコリス内服液が好き)を飲んで寝た。

朝起きたらのどの痛みが嘘のように消えており、いかに愛用の風邪薬とはいえ治りが早いなと思い、考えてみたら揚げたてのとんかつを大急ぎで食べたので、のどの奥の痛みは火傷だったような気がしてきた。友人夫婦の店が満員客待ちになっていたので、さっさと席を空けなければと気がせいたのだ。

いずれにせよ週末は老人ホーム訪問がひかえているので、風邪にかからなかったことがありがたい。

 
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明日への日記…42 歩く走る

 

【カラスの日めくり】11月30日水曜日。30を描いたところで今月も千秋楽。さらば六義園のカラス。

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歩くことが好きだ。
歩き始めてぐんぐん加速している感覚が好きで、「スピードに乗る」という慣用句の「乗る」が実感されるときが気持ちよい。この速度なら永遠に歩き続けられそうだなどと、出来もしないことを思い描ける快感が「乗る」という現象なのだろう。

中学時代の陸上部に、小柄で色白でとびぬけてかわいい女子がいたが、「何で陸上なんてやってるの」と聞いたら、「走るのが好きだから」と即座に答えが返ってきた。

歩くことの快感追求をきわめると、走ることも快感になるのかどうかはわからない。
かわいい女子が所属していた陸上部の連中も、顧問がいない時ににグランドを周回している姿は楽しそうで羨ましかったが、顧問が現れて
「何をだらだら走ってるんだ!」
と一喝された途端、スピードが上がり集団がばらけ、少しも楽しげでなくなるのだった。

歩く楽しさに対して、走ることには苦しさの印象が常につきまとっている。
力いっぱい走っている時は苦しいけれど、走り終えた時の爽快感が気持ちよいのだと「走るのが好きだから」の少女は言いたかったのかもしれないし、走っている最中に楽しくなければ好きとはいえないだろうと「何で陸上なんてやってるの」の少年は聞きたかったのだろう。

 
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