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【賤機山リフト】

【賤機山リフト】

 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2006 年 9 月 21 日の日記再掲

「休みだんて、あしたは狐ヶ崎遊園に連れてくか」
(なぜか「地」は略されていた)と言われて大喜びした。狐ヶ崎遊園地は 1927(昭和 2 )年、静岡鉄道の前身である静岡電気鉄道が清水に開園した遊園地であり、その CM ソングが北原白秋作詞による『ちゃっきり節』だった。

弁当と水筒を持って歩いて地域の遊園地に行くのであり、歩いて行けるほど近くに遊園地があるという贅沢な暮らしだったのだけれど、お金がかかる場所なのでそう頻繁に贅沢ができるわけではないということで、二重に贅沢な場所になっていた。

「休みだんて、あしたはしぞーかに連れてくか」
(なぜか「しずおか」とは言わなかった)と言われて、やはり大喜びしたのは「しぞーかに連れてく」は浅間神社裏手の賤機山に登る「リフトに乗せてやる」を意味していたからである。

■静岡鉄道賤機山リフト頂上遠望。
1968年1月。
Olympus Pen EE2 D.Zuiko 28mm F3.5

雑誌『sizo:ka』(しぞーか)に連載している写真エッセイを書くために古い写真を探していたら、中学生時代に撮影した静鉄賤機山リフトの写真が出てきた。

■賤機山リフト搭乗中。母も着物を着て嬉しそう。
1968年1月。
Olympus Pen EE2 D.Zuiko 28mm F3.5

「しぞーかに連れてく」と言われて大喜びで外出し、静鉄電車に乗って新静岡駅に着くと、呉服町通り商店街を歩き、中町交差点から浅間神社に続く浅間通りを歩き、おとな達はぶらぶら嬉しそうに商店をひやかしながら歩き、子どもは早く浅間神社裏手からリフトに乗せて貰いたくてうずうずして、行きつ戻りつしながら歩いたものだった。

そういう意味で静鉄静岡清水線→呉服町通り商店街→浅間通り商店街→静岡浅間神社→静鉄賤機山リフトという懐かしい行楽の道筋は、人を回遊させる仕掛としてとても良くできていた。浅間さんのリフトはでっかいしぞーかというデパートの屋上遊園地だったのかもしれない。

■賤機山からの眺め。
1968年1月。
Olympus Pen EE2 D.Zuiko 28mm F3.5

人生何事もやってみなくてはわからないように、山というのも見上げているだけではだめで、鼻で笑い飛ばすように低い山ですら頂上に立つと驚くほどの絶景が見られて感動する。低い山に登ってみることはささやかな人生の日々を楽しむための心の持ち方に似ている。

今でも賤機山頂上から眺める風景写真を見ると「おお~っ…」と声が出そうになり、1974(昭和 49 )年 7 月の通称七夕豪雨で崩壊するまで、静鉄賤機山リフトはたくさんの「おお~っ…」を山頂に響かせるために、小高い山を上り下りしていたのである。

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