電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
◉ポンジュース事件
2019年9月1日
◉ポンジュース事件
駅ホームの自販機でポンジュースを買って取り出し口を覗いたら、同じポンジュースが 5 本も出てきていた。
「5 本も出てきた!」
と妻に言ったら
「ほんとだ!」
と驚き
「どうする?」
と聞く。気味が悪いので一本だけ取り出し、一口飲んで異常がないので妻にやった。
「どうして 5 本も出てきたんだろう」
とふたりで笑い
「あのままにしておいていいのかしら?」
と離れた場所から横目で眺めていたら、不思議そうに覗き込んでいた高校生が 4 本ともバッグに突っ込んで持っていった。
***
目がさめて今日の名言アプリを見たらニーチェがこんなことを言っていた。
“かつてはこれこそ真実だと思っていたものが、今では間違いだったと思う。かつてはこれこそ自分の変わらぬ信条だとしていたものが、今では少しちがうと思う。それを、自分は若かったとか、浅かったとか、世間知らずだったと断じて葬らないほうがいい。なぜならば、当時の自分にとっては、そう考えたり思ったりすることが必要だったのだから。当時の自分の段階にあっては、それが真実であり信条だったのだ。人間は常に脱皮していく。常に新しくなっていく。いつも新しい生に向かっている。だから、かつては必要だったものが、今は必要でなくなったにすぎないのだ。だから、自分を批判していくこと、人の批判を聞いていくことは、自分の脱皮をうながすことにもなるのだ。さらなる新しい自分になるために。”(フレドリック・ニーチェ 1844−1900)
本駒込 2019
昨日の新聞で読んだ人生相談で、予後の悪いガンに罹り、過去の生き方を振り返って自分を責めている人の悩みを読んだ。このニーチェの言葉は死にゆく人にも有効だと自分は思う。死にゆく今もまたさらなる新しい自分になる過程であると思えるかどうかは死生観によるのだろう。
***
本駒込 2019
ママチャリの後ろに幼児をのせ、買い物かごに大きなレジ袋を積んだパパが歩道を疾走し、警察署前の横断歩道が赤信号なのを斜め横断して、こちら側の歩道にズンと乗り上げた。乗り上げた途端に大きな破裂音がし、自転車は急停止し、驚いた子供がギャーと泣き出した。衝撃で袋入りのバターロールが歩道に落下し、それを後輪で轢いたので、パンがパン!と鳴ったのだ。
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