電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
【スクラッチパッド - 4月26日 午前3:40】
【スクラッチパッド - スクラッチパッド - 4月26日 午前3:40】
自分にとって意味のある問題は自分の力量で考えられる縮尺程度に小さい。社会や政治や文化などという大きなものの批判などを考えると、神様風の物言いになって、生身の人間にとって意味のある射程を超えてしまう。自分の行動がともなう範囲で考える、歩きながら考える、射程内で考える。
全能の神様同士は勝負事をしない。勝負事の結果がわかってしまっているので勝負自体が意味をなさない。全能の神様同士は勝負事ができない。そもそも全能の神様がふたりいて争う設定がおかしい。
自分にとって大きすぎる問題を神様になったつもりで考えると、結論が出てもそれは無意味でしかないので虚しい。小さな問題を行動しながら考える足もとにこそ実用の意味があり、その対極に大きな無意味がある。大きな無意味は、ちっぽけな人間の行動とともには語れない。人は限られた時間という射程内を現実的で常識的にしか生きられない。
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iOS の Evernote ホーム画面に「スクラッチパッド」という下書き機能がついたので、本を読みながらメモをとり、ノートに変換したら自動で【スクラッチパッド - スクラッチパッド - 4月26日 午前3:40】というタイトルがついた。昭和 34 年の小林秀雄で中谷宇吉郎との対話を読みながら、なるほどと思ったことのメモ。
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