【浜田の「ざあざあ」と牛込の「どんどん」】

【浜田の「ざあざあ」と牛込の「どんどん」】

井伏鱒二の随筆に「どんどん」が出てくる。

私は西荻窪の善福寺池のところまで行った。川の水は善福寺池から発して荻窪の川南から東中野の駅のそばを過ぎ、小滝橋の下を通って下落合に迂廻し江戸川公園の関口大滝に出て、それから飯田橋の「どんどん」にそそぐ。(井伏鱒二『点滴 釣鐘の音』講談社文芸文庫)

川の話なのでこれは郷里清水にあった浜田の「ざあざあ」と同じ発想による俗称だなと思う。

東海道本線が江尻駅(現在の清水駅)を出て西進する鉄路をひらく際に、桜ヶ丘から文殊神社のある桜橋町方向へ突き出した高みが切り通され、そこで切られた断面から湧水を含む水の流れが発生した。その水は線路に沿って東に流れ、現在もしずてつストア脇あたりで清冽な流れが見られる。

静岡鉄道入江岡駅の東で、並走した東海道本線と静岡鉄道が二股に分かれる際に巴川に対して作る三角地帯がある。そこにつくられた耕地はその水で潤され、水田だった頃は大変な泥濘(ぬかる)み状態で蟹がたくさん住んでいた。

その水が現在の清水下水道浜田ポンプ場の先、浜田親水公園あたりで巴川に流れ落ちていた時代があり、地元の子どもたちはその光景と音から「ざあざあ」と呼んでいた。団塊世代あたりまでの人びとと地元で飲むと「ざあざあを知らなきゃ清水っ子じゃない」などと笑顔で言う。

井伏が言う飯田橋の「どんどん」もまた流れ落ちる水の光景と音からの命名だろうと思って調べたら「牛込どんどん」のことらしい。国会図書館に広重の錦絵(→)「どんどんノ図」が収蔵されて公開されている。いま外堀通りと目白通りが交差する位置、牛込御門から神楽坂方向へ渡る牛込橋のところに堰があって、流れ落ちる音から「牛込どんどん」と呼ばれていた。

やっぱり浜田の「ざあざあ」と牛込の「どんどん」は言葉の水脈でつながっていた。

(2019/02/06)

コメント ( 2 ) | Trackback ( )
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敵陣 (サッカーおやじ)
2019-02-06 11:50:55
こんにちは。

ざあざあ、とても懐かしいです。
金田食堂の横を通り抜けて、                 踏切じゃない鉄道を渡って行くという、
今では大事になりそうな方法で行っていました。
江尻っ子の僕らは、浜田地区に乗り込むよそ者な感じで、
なんとなく遠慮気味に遊んでいたような。 
タモでフナをゲットすると英雄でした。
 
 
 
ちんちん踏切 ()
2019-02-06 12:38:40
それは冒険!
入江からだと若宮さんの脇を通って、ちゃんと浜田のちんちん踏切を渡って侵攻していたように思います。
サッカーおやじさん世代でもざあざあを知ってるんですね。
 
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