電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
【嘘になる】
2020年7月30日
【嘘になる】
「……というと嘘になる」という表現は日本語の乱れ、汚れとも言えるみっともない用例である、と尊敬する先生が書かれていた。何が気に障られたのだろうと思うに、「嘘になる」の「になる」の部分に、可能性を宙ぶらりんにして相手の判断に委ねる甘ったれた語法が見られるからだろうかとまず思う。難しい言葉で、対事モダリティのうちの認識様態のモダリティ(epistemic modality)という。「かもしれない」が頻出する自分の文章の、痛いところに自ら思い当たったのでどきっとした。
改めて文脈を辿るとお怒りの発端は、ご自分の文章に「亡う」(うしなう)と書いたら「亡す」(ほろぼす)ではないかと異議を唱えられたところに端を発しているので、「からっぽ」「いない」「そら」「すきま」などを意味する「虚」に口偏をつけ「ウソ」に通用させた新しい日本語用法に憤られておられるのだ、と思う。憤られておられる、のかもしれない、とは書かない。
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