【トクホンと二人の徳本】

【トクホンと二人の徳本】

幼い頃、祖父母の脇にのべられた布団の中で寝付かれずにうとうとしていると、ぷーんと爽やかな臭いがして
「(ああ、おじいちゃんがトクホンを貼ってもらったな)」
とすぐにわかったものだった。そのせいか今でも外出時にトクホンの臭いを嗅いだりすると幼児期にタイムスリップしたように眠たくなる。

豊島区西巣鴨、地蔵通り商店街である旧中山道を北西にどんどん進み都電荒川線庚申塚駅脇の踏切を渡ったところに餃子の人気店『ファイト餃子』があり(2008年当時)、郷里静岡県清水帰省の際の土産にして友人たちとよく食べたものだったが、久しぶりに買いに行ったら定休日なのか閉まっていた。

『ファイト餃子』店頭から旧中山道を挟んだ場所に路地があり、その奥に「延命地蔵尊」という赤い幟(のぼり)が見え、清水駅前銀座の延命地蔵尊を思い出して懐かしい。

どんな延命地蔵尊があるのだろうと見に行ったら、大変大きくて古びた石柱があり、四方に「徳本」と刻まれているのだった。

祖父が愛用していた貼り薬『トクホン』の名の由来となった医師永田徳本(とくほん:室町から江戸にかけて実在した)ゆかりの石碑かと一瞬思ったけれど、これは1758(宝暦8)年、紀州日高郡志賀村久志(和歌山県日高郡日高町)に生まれ、苦行しつつ全国を行脚し、最晩年小石川伝通院、一行院で過ごしてその地で没した徳本(とくほん)上人の蔦文字と呼ばれる「南無阿弥陀仏」六字名号を刻んだものだった。4 面すべてに「南無阿弥陀仏」の六字が刻まれておりその下に徳本と上人の名が刻まれている。

……羽黒山の修験者は民間宗教なものですから、正規の僧侶ではありません。その正規の僧侶でない人を、敬称を付けて、どう呼ぶのかというと「上人」と呼ぶのです。
 いまは日本語が紊乱しておりまして、上人というと、偉い人のようにきこえますが、上人というのは資格を持たない僧への敬称であって、たとえば空海上人とは言いませんし、最澄上人とも言いません。(司馬遼太郎「浄土」より)

全国を行脚して1000基以上の「南無阿弥陀仏」六字名号を残した徳本上人もまた正式の僧ではなく苦行により自らの力で念仏の教義を悟った人だったといい、目に一丁字もない人だったらしいが、十一代将軍家斉や奥の者の帰依をうけ江戸庶民にも熱狂的に受け入れられた「上人」に相応しい人だったらしい。

そばに掲示されている資料に
「「ずっと以前、トクホン本舗の人が拓本を取りに来たのよ。何か関係あるかも…」と教えてくれたのは地元の人。早速、トクホン本舗に伺うと、永田徳本と徳本上人のコピーを送ってくれた」
と微笑ましいエピソードが書かれており、この場所でトクホンと二人の徳本がちゃんと結びついている。

( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2008 年 6 月 17 日、14 年前の日記に加筆のうえ再掲載。)

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