電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
【母と歩けば犬に当たる……101】
101|天国にいちばん近い食堂
大きな病院には必ず食堂があり、患者や家族や見舞い客に医師、看護師、職員も混じっての、にぎやかな食事風景が見られることが多い。
家族に付き添っての病院通いが暮らしの一部となり、必然的に病院食堂で食事をする機会が増えた。家族が元気なら病院の外へ出て気晴らしがてらの食事も可能なのだけれど、わが母は
「外になんか行くより病院の食堂の方がいいよ」
などと言う。
母や義父母に限らず、身体の弱った年寄りは特に感染症への注意が必要なので、病人が集まる施設内での食事を嫌がってもらいたい気もするのだけれど、
「病気になったらわかるけど、人は多かれ少なかれみーんな病気なんだから、病気と気づかずにいる人より、病気だいう自覚のある人が集まってる場所の方が安心なんだよ」
などと意外なことを言う。
揚げ油の臭いに敏感な母は、
「思わず顔を横にそむけたくなるような悪い油の臭いもしないし、ここは病院だけに食べ物の安全管理も厳しいんだろうね」
などと言って感心している。そして医師や看護師と相席になると、「(この医者は好き嫌いが多いなぁ)」と不養生の実例が見られたり、「(この女性看護師はライス大盛りだ、若いっていいなぁ)」などと微笑ましかったりするのだそうだ。
そしてさらに良い点は、昨年見舞い中の叔母が病院内で急に倒れたときもそうだったように、病院なら頼りになる看護師がすぐに助けてくれる。実生活の場では、5人の医師より1人の看護師がいる方が役に立つそうで、そんな看護師がうじゃうじゃいる病院食堂は最高に贅沢で安全な場所なのだと大演説する。
病院食堂で出会う人はなぜかみんな優しい。
車いすの人もいれば、点滴をしながら食事をする人もいるので、椅子をひいて通路を開け、みんなで譲り合い、時には手を貸してひとつのテーブルを共有している。そんなとき、病人はもとより家族から関係者まで、病院食堂に集う人たちは多かれ少なかれ弱っている人たちなのだということを実感する。みんなが弱っているということを前提にした社会が優しく居心地よくならないはずがない。
弱っていることすら生きていられることの喜びと感じられるなら、病院食堂というのは弱っていることを互いに理解する人々によって、実は天国にいちばん近い食堂になっているのかもしれない。
(2005年2月14日の日記に加筆訂正)
【写真】 病院食堂にて。
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