電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
【誰かが座った】
【誰かが座った】
文京区の白山神社境内に四角く切り出された石があり、あれは確か魯迅が腰掛けたという曰く付きの石ではなかったか……と、ぼんやり思う。不意に気になりはじめたので確かめに行ったら、石に座ったのは魯迅ではなく孫文だった。
明治四十三年五月中旬の或る夜、孫文と宮崎滔天がこの石に腰掛けて中国の将来について意見を交わしたのだという。
人まちがいしたのも何かの縁なので魯迅を読んでみようと思う。かつて魯迅の『故郷』がしばしば国語の教科書に取り上げられていたというのだけれど、育った年代が違うのか読んだことがない。いい機会なので青空文庫リーダーでダウンロードして読んでみた。
没落したとはいえ裕福な士大夫の家系に生まれた魯迅と、貧しい農民の家に生まれた友との、故郷での再会には埋めようもない裂け目が生じている。友の変わり果てた容貌を見て魯迅は思う。
青空文庫には佐藤春夫と井上紅梅、それぞれの訳によるものがあって読み比べられる。たとえば魯迅『故乡』の原文はこうなっている。
他大约只是觉得苦,却又形容不出,沉默了片时,便拿起烟管来默默的吸烟了。(魯迅『故乡』)
そしてこの箇所の訳はこんなふうに違う。
彼は多分苦しさをしみじみと感じてはいるであろうが、しかしそれを言い現わすことも出来ないのか、しばらく黙っていた、そして煙管をとり上げ、黙々と煙をふかしていた。(魯迅『故郷』佐藤春夫訳)
いかにも教科書に載りそうな、主語を立てた優等生的な佐藤訳に対して、どちらかといえば個人的に好感を持つ井上紅梅訳はこうなっている。
たぶん苦しみを感ずるだけで表現することが出来ないのだろう。しばらく思案に沈んでいたが煙管を持出して煙草を吸った。(魯迅『故郷』井上紅梅訳)
2024 年 5 月 29 日 白山神社
第 44 回 文京あじさい祭りは 6/8―6/16
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