▼107……保健所と手洗い



台東区上野桜木の飲食店にあった懐かしい手洗い。

これと同じ形の物が母親の営んでいた飲み屋にもあった。
「保健所がうるさくて困る」
と母はよく愚痴をこぼしていた。

保健所が来るたびに
狭い店内のここに手洗いをつけろとか消毒用石けんをつけろとか
あれこれ改善命令を出していくのであり、
それに従えない店は仕方なしに廃業していった。
そうやって郷里の港町から
屋台や掘っ立て小屋の飲み屋が消えていった時代がある。

衛生思想は街の活力を奪う一面も併せ持つ。



「こんな狭い店にこんな手洗いがあったら邪魔で仕方ない」
と母は言い、保健所が帰ると取り外し
保健所が来ると聞くと慌てて取り付けるのが僕の役目だったので
この形の手洗いを見るとひどく懐かしい。
コメント ( 2 ) | Trackback ( )
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コメント
 
 
 
もう一つの政令市 (あおい君)
2009-01-18 18:05:01
“手洗い”を付けたりはずしたりというのにはびっくりです。
清水は県の保健所だったので、きびしかったのかもしれませんね。
一方、旧静岡市は、昔から保健所政令市(政令で保健所をおくことができる都市で、静岡県内では静岡市と浜松市が該当していた)で、市で設置した保健所だったので、多少あまいところがあったのかもしれません。(公式には違うはずがないということにはなっているのでしょうが)
 
 
 
衛星都市 ()
2009-01-19 14:19:40
>清水は県の保健所だった

そうなんですか、ぜんぜん知りませんでした。
母は知ってたのかなぁ。
僕は1966年に生まれ故郷清水に帰りましたが“屋台のある港町清水”を知りません。年上の人に聞くと「たーんとあった」そうですが、僕が中学生のときには空き地に半固定化したバラックのような屋台のなれの果てがあっただけでした。
こんな狭い場所にふたつも流し場を作ってあるのに、さらにどうやって手洗い専用場をつくりさらにクレゾール石けんディスペンサをつけろというのかと中学生でも憤ったものです。
それをやらなきゃ商売はまかり成らんと言われたら屋台はおろか空き地のバラック店舗もたまらないわけで、あっという間に消えていきました。

面白いのは当時午前0時を過ぎると母の営んでいたような店はアルコールを客に提供してはいけないことになっていて、日付が変わった途端グラスや杯は下げて湯飲み茶碗でビールやお酒を飲んでもらうことにしていて、パトロールが来ると常連さんが
「おらはお茶を飲んでるだよ」
「おらは白湯をもらって薬を飲んでるだよ」
などと言って笑い、パトロールも大目に見ていたのでそちらは多少甘かったのでしょう(^_^;)

学生時代、確か新静岡近くだったと思いますが、これこそ正統派静岡おでんという古い店に連れて行かれましたが清水じゃ許されないんじゃないかという店内でした。やはりおでん同様多少甘かったのかも(笑)
 
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