【母と歩けば犬に当たる……15】

東海道みとり旅の記録
【母と歩けば犬に当たる……15】
 

15|病室のピクニック

 母の検査入院が十月十七日金曜日より、約一ヶ月の予定で始まり、翌日からの日課として、毎日昼前に病室を訪ねて昼食を一緒にとることにした。
 郷里で一人暮らしの時は、抗がん剤投与(★1)が始まってからというもの、ほとんど食物を受け付けない状態が続いていたので、これからは減ってしまった体重が戻るくらいに栄養をとり、基礎体力をつけるのが大切だと思う。さいわい食欲が出てきて三食おいしく食べていると言うけれど、一食くらい監視しないと安心できないので、母が喜びそうな食べ物を自分の昼食として購入し、病室を訪ねることにしている。
 母は昔からもち米を蒸したおこわが大好きな人だったので、土曜日は赤飯を買って行ったら、こちらの思惑通り、自分の病院食と物々交換しようと言う。少しだけお裾分けして貰い、自分の舌で確かめてから母の感想を聞くと、食欲や好みの変化によって現在の体調がわかって興味深い。とにかく量より品目数を増やすのが大切だと思うので、物々交換を申し出たくなるような昼食を持って行くことにしている。
 「昔はお赤飯のくせにもち米を使っていなかったり、あずきやささげの色ではなく着色料を使っていたりして、ひどいお赤飯もあったけれど、最近はスーパーのお赤飯でも、しっかりしたものが食べられるね」
などと食べ物の話に花が咲く。最後は必ず値段当てクイズになり、かなり的確に言い当てる母である。そんな他愛のない遊びがなかなか楽しい。
 日曜日は病院近くの店も休みで弁当類が調達しにくいので、JR山手線で秋葉原に出て、神田志乃多寿司(★2)で助六寿司を買って一緒に食べることにする。
「かんぴょうの煮方がさすがだなぁ、稲荷寿司の味がやさしくてくどくないね」
と母にも大好評である。
 ありがたいことに、母は満腹だったり、食欲がなかったりしても、甘いものは別腹の人なので助かる。ちょっと食が細いなと思うときは、ケーキやプリン、フルーツや和菓子などでカロリー補填ができるのである。神田志乃多寿司の数軒先にある近江屋洋菓子店(★3)のケーキも、一緒に買って持っていくと母は大喜びしていた。
 どんな人でも残された命の長さには限りがあるけれど、病いを得てそれが医師の口から具体的に告げられれば、残された日々を有意義に生きたいと真剣に考えるものだろう。仕事を辞め、蓄えをかき集め、愛する人とのんびり海外への船旅に出るなどという思い切った選択をした人の話も耳にする。
 駿河台に面した暖かな病室で、弁当と菓子を広げていると、毎日がピクニックのようだ。食べるという行為の中から不思議と忘れていた想い出がまろび出てくることがあるのは、食べることこそが生きることであるような貧しい時代をともに生きてきた親子だからだろう。
 個室の入院費を
「もったいないよ」
などと気にする母なので、素朴で飾り気のない、ようするに安いということだけれど、それでいて作り手の思いがこもったように見える昼食を用意して持っていく。
「これで、いくらだと思う?」
と尋ね、目を丸くする母の顔が見たくて、毎日の昼食を考えるのが楽しい。
  いつの日か自分にも残された人生の日数が告げられる日が来たら、こんなピクニックをして過ごしたいと思うかもしれない。

(2003年10月20日の日記に加筆訂正)

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★1 抗がん剤投与
この当時はすい臓がんに肺がん用の抗がん剤が有効かもしれないと言われ、母はやってみたいと言って投与を受けていた。
★2 神田志乃多寿司(かんだしのだずし))
明治三十五年、原田直平により神田淡路町、当時は神田佐柄木町で創業された老舗の寿司店。
★3 近江屋洋菓子店
明治十七年近江八幡出身の平三郎によって創業された洋菓子店。

【写真】 買って行った惣菜と病院食の物々交換会。

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