【母と歩けば犬に当たる……21】

東海道みとり旅の記録
【母と歩けば犬に当たる……21】
 

21|楽しい病院とはなにか

 病院だって楽しく過ごせる場所であるにこしたことはない。
 抗がん剤投与を受けるため化学療法室に入っていた母が笑顔で戻ってくる。ベッドで仰向けになって点滴を受けている間、天井に設置した小さなテレビを見ながら、リモコンを操作して好きな番組を見られるのが気に入ったと言う。ああいう仰向けになって見られるテレビが欲しいと言うので、
「自宅で寝たきりになったら買ってやるよ」
と言っておいた。
 隣のベッドで抗ガン剤投与を受けている人はカーテンのしきり越しにお菓子を食べている気配がしたそうで、そういうことが許されるほどに看護婦さんも明るく大らかで親切だし、注射針の挿入も刺したと気づかないほど上手なので驚いたと言う。
「管理職がおもてだって命令している風でもないのに、どうしてこの病院はみんな職員が明るく礼儀正しくて、親切で熱心なんだろうね」
というのが、東京で治療を受け始めた母の感想である。
 若い頃わずらった肺病の、自然治癒した跡にある陰が気になるので、内視鏡検査をしてみませんかと勧められ、息子にはかたくなに拒んでいたくせに担当医師の明るい人柄に惚れて急転直下検査を受ける気になった母である。
「痛くて痛くて、管を自分で引っ張りだそうとしたくらいです」
「その頃のは痛かったでしょうね。でも今は進歩しましたから安心してください」
今から30年前、静岡県清水市にあった県立富士見病院で肺への内視鏡検査を受けた話になり、当時の医療機器の話、検査方法の話で担当医師と盛り上がっている。
「病院が持たせてくれたフィルムもあるんですよ」
と言ったら
「ぜひ見たいですね」
と言うので母も大喜びし、先週わざわざそれを取りに清水に戻ったのである。
 医師は技術か人柄かと問われれば人柄がいちばん大事と答えるのが、三人の親と一匹の犬を通じてたくさんの病院に関わった結果の感想である。医療関係者も福祉関係者も、まず明るく親切な人でいてほしい。医療や福祉の扉を叩く時、家族は数歩先の光明すら見えないほど疲れ果てているのであり、その際、最も辛い当事者を伴っていることもあるのだ。まず優しく接して欲しいという当たり前の願いが、医療や福祉の受付からもうすでに叶わない現実も知った。
 町の医院、総合病院、老人介護支援センター(★1)、区の福祉課、動物病院などを清水と東京を駆け回りながら次々に訪ねたけれど、そんな中で受付時に、
「そういう困っている方にこそ、私たちは来て欲しかったのです」
と笑顔で迎えてくださった医療・福祉関係者に、何件目かで巡り会えた幸運をありがたいと思う。
 「実を言うと九月頃はこのままでは今年一杯生きることも無理だと思ったよ」
というのが昨日、母が漏らした感想である。驚くほど元気になった母と、病院地下の職員食堂に行き
「カキフライ定食にするけど、お母さんは?」
と聞くと、
「お母さんもカキフライ定食」
などと言うので驚いた。
「薬も治療方針も紹介状をいただいた前の病院と同じです」
という所見で始まった治療だけれど、母はこんなに元気になり、昼食後病院脇の喫茶店でコーヒーと野菜サンドをさらに平らげ、礼状を書くための便箋を買い、元気に点滴に向かったのである。
 本質的に同じであるはずの治療で、患者や家族を元気づけ生き生きとさせる秘訣は、病気の治療技術ではなく楽しい病院であることなのかもしれない。そして楽しい病院であるために必要なことは、困っている人、苦しんでいる人に、明るく親切に接するという当たり前のことなのかもしれない。

(2003年11月28日の日記に加筆訂正)

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★1 在宅介護支援センター
老人の福祉に関して情報提供、相談・指導や、在宅介護当事者と老人福祉事業者間の連絡調整、その他援助を行う施設。

【写真】 新聞広告で母が折った病室の屑入れ。

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