電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
【浚渫】
(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2007年 10 月 31 日の日記再掲)
港は定期的に浚渫(しゅんせつ)しないといけないものらしく郷里静岡県清水で暮らしていた頃は、港を散歩すると浚渫作業をよく見た。
「しゅんせつせんがしゅんせつさぎょうをしていた」
などという言葉を先に覚え、あとから「しゅんせつ」が「浚渫」という不思議な文字を書くことを知って驚いた。今でも「浚渫」という文字を見たら「しゅんせつ」と読めるけれど、とっさに「しゅんせつを漢字で書け」と言われたら書けない。
■浚渫船「第一龍将丸」の巨大な装備。
撮影日: 07.10.28 8:49:16 AM
RICOH Caplio R1V
英語で浚渫することすなわちすくい上げることを dredge(ドレッジ)と言い浚渫機や浚渫船や浚渫作業員を dredger(ドレッジャー)という。
面白いのは英語辞典で dredge をひくと「さらう」とか「掘り起こす」とかとまったく逆の意味の「まぶす」とか「ふりかける」という意味の dredge もあることで、ケーキ作りなどで用いる粉砂糖ふりかけ器もまた dredger(ドレッジャー)という。
■この手のようなもので港内の泥をすくい取るのであり、そのものずばりグラブと呼ばれる。
撮影日: 07.10.28 8:47:46 AM
SONY DSC-L1
ある言葉が全く逆の意味を同時に持つという事例に時折気づくけれど、ひとつの言葉が同時に相反する意味を持つことは多いらしい。
「多くの言語学者たちは、最も古い言葉では強い-弱い、明るい-暗い、大きい-小さいというような対立は、同じ語根によって表現されていたと主張しています(『原始言語の反対の意味』)。たとえば、エジプト語のkenは、もともと「強い」と「弱い」という二つの意味をもっていました。対話の際、このように相反する二つの意味を合わせもつ言葉を用いる時には、誤解を防ぐために、言葉の調子と身振りを加えました。(中略) フロイトは同種の事例をいくつか列挙している。ラテン語のaltusは「高い」と「低い」の二つの意味があり、sacer には「神聖な」と「呪われた」の二つの意味がある。英語の with は「それとともに」と「それなしに」の両方の意味をもっていたが、今日では前の意味でのみ用いられている ( withdraw「取り去る」や withhold「与えない」という動詞には「それなしに」という古義の名残りがとどまっている)。もちろん日本語にも同じ現象は存在する。 」(内田 樹 《シリーズ ケアをひらく》『死と身体-コミュニケーションの磁場』医学書院より※改行一部削除)
難しい話しは抜きにして、十返舎一九『東海道中膝栗毛』でわが郷里を通った弥次喜多が「いかず」という言葉の意味についてひっかかっていて、子ども心にくだらないことが書いてあると思ったのを記憶している。清水で「いかず」は「行かない」ではなく「行きましょう」なのだけれど、清水で「いかず」と言う時には誤解を防ぐために、言葉の調子と身振りを加えて話すのであり、弥次喜多はともかく、たいていの良識ある旅人も子どもだって清水で「いかず」と言われて「行かない」と言っているなどと文脈を無視して間違えたりはしないと子ども心に腹を立てたものだ。
■江尻船溜停泊中の浚渫船とパピヨンを連れてひなたぼっこしながらスポーツ紙を読む男。男の姿を見てわかるように清水の港は暖かい。
撮影日: 07.10.28 8:51:52 AM
RICOH Caplio R1V
そういう些末な言葉の揚げ足取りではなくて、郷里清水では「われ」と言うと「あなた」であり、「くれる」がなぜ「あげましょう」なのかというところが、多くの言語学者やフロイトや“内田樹を読みながらもやっぱり不思議な深みを持って感じられて仕方なく、清水ライナー東京行き発車時刻を待ちながら江尻船溜で懐かしいふるさと言葉の浚渫作業をする。
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