【母と歩けば犬に当たる……55】

東海道みとり旅の記録
【母と歩けば犬に当たる……55】
 

55|◉極私的・夏休み親子六義園自然観察教室……5[小さい世界の大きい楽しみ]

 「ああ、六義園にイビ(母の愛犬)を連れて入れたらどんなにいいだろう」
というのが母の口癖である。
 そんな夢は、母が柳沢吉保のご母堂様として愛犬を連れてタイムスリップするくらいの飛躍した物語展開がないと叶いそうにない夢であり、夢敗れた母は夏の早い夜明けと共に起き出し、いやがる愛犬イビを連れて六義園の周囲をぐるっと一周してくるのだという。別に拗ねているわけではないようなのだけれど、散歩の途中で雑草を手折ってきては器に生けて、狭い住まいの中でつましい楽しみかたをしている。たくましい雑草たちはすぐに水揚げして葉を延ばし、中には花をつけたり、水中に根を張り出すものもあって母を喜ばせる。
 瀧本ヨウ(★1)さんの木削りの会に行って自己紹介の時間になり、
「幼い頃預けられていた祖父母の家は田んぼの真ん中の一軒家で、見渡す限りの自然はあっても友達がひとりもいなかったので、さあ今日も一日何をして遊ぼうかと思った時、適当な場所に腰を下ろして手が届く範囲だけが世界だと決めてひとり遊びをするのが好きだった」
と話したら、声を上げてウケてくれた人がいて嬉しかった。人は恵まれすぎていると遊べずに、ある程度限定された世界の方が遊びやすいのだと思う。
 幼い頃、田んぼの畦に腰を下ろして手の届く範囲の世界を見つめていると、今まで気付かなかった物がたくさん見えてきた。小石をどけたらその穴にみるみる水がたまったり、それが小さな渦を巻いて水嵩(みずかさ)を増したり、浮き草脇の泡がレンズになって田んぼの泥の上に明るい光点を作ったり、小さな虫が水面をツーイツイっと滑ったり、水面に落ちたアリが表面張力で見事に浮き草まで辿り着いたりする小さな劇場が次々に展開し、昼ご飯時まで同じ場所に座って何をしていたのだと祖母が心配するくらいに、小さな世界だからこそ見えてくる大きな楽しみというものを学ぶ良い経験だった。
 息子に続いて母の自己紹介になり、
「私は静岡県の清水から来ました。末期のすい臓がんだと言われて、いまは東京の息子のもとで暮らしています。今日はよろしくお願いします」
と自己紹介をした。母は、紡錘形の木製ペンダントを作り、最後の合評会で作品名を聞かれ、
「喜びの涙です」
と答えた。
 母が散歩で手折ってきた雑草が枯れ、下駄箱の上に種子をこぼしていたので、手のひらに集めて捨てようかと思ったら次々に震動でこぼれてきて、わずか3本の穂からあまりに種子が採れるのに感動したので、手近にあった広告チラシに受けて集めポケットに入れた。
 レンズ面から1センチまで接写のできるデジカメの先端にさらに接写用の凸レンズをつけ、大きく拡大して葉書にプリントし、母に見せてなんだと思うか聞いてみた。
「お母さん、これなんだと思う」
「何か稲のようなものの実に見えるね。稲なんてこの辺では珍しいね」
「これ、お母さんが摘んできてこの部屋にあったんだよ」
「うーん、そんなものは摘んできてないよ」
「写真では大きく見えるけれど長さ1ミリくらいのラグビーボール型なんだよ」
「小さいねえ、お母さんには老眼鏡をかけても見えないかもしれないね」
 雑草などと呼んでいるけれど、エノコログサは立派なイネ科の植物であり、和菓子に用いたりする粟(あわ)に非常に近く、南米では貴重な澱粉源として食べられていたという。戦争中は道端から雑草がすべてなくなるくらいに、食べられるものは食べ尽くしたという時代を生きた母だが、この実を食べた記憶はないという。スズメは大好物のようだけど、スズメのスケールだと一粒は非常に大きい。大ごちそうである。
「ほら、これでわかったでしょう」
種明かしを終えたら、母は友人に出したいからその葉書が欲しいという。猫のようにはしゃぎ始めた母にも通称〝猫じゃらし〟は効果てき面である。

(2004年7月17日の日記に加筆訂正)

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★1 瀧本ヨウ
1949年和歌山県生まれ。横浜及びロスアンゼルス在住。友人がヨウさんを招いて行っている木削り教室に母を連れて行ってみた。

【写真】 脱穀したエノコログサ。

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