電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
▼親と子の会話
親子が交わす会話というのは次第に会話が誕生したばかりの頃の素朴さに戻るのかもしれない。そしてよほど他人の前で仲良く見えることに慎重な親子以外、ごつごつとして荒削りな会話ばかりになってしまうことが多いように思う。
他人の親子が交わす会話を聞くともなく聞いていて、ドキッとする小さな棘に気づいて、その親子が置かれている今の事情に気づくことがある。僕もまた70前後の年齢になった母親と話しているうちに言葉を荒げてしまい、周りの人にギョッとした視線で見られた記憶がある。
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豊島区駒込にて。
丁寧で他人をギョッとさせない話し方というのは、他人が聞いても内容が理解できるよう、文法的に整った会話をすることであり、親子がともに大人になるということは、余計な軋轢が生じないように丁寧な会話をするようになることなのだと思う。
その親子が次第に年をとり、親が老人と呼ばれるようになり、介護が必要になる頃には、文法的に整った会話がしだいにごつごとして荒削りになり、時には棘がちくりと刺さるような会話になってしまうのかもしれない。親も子も疲れているのだ。
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豊島区駒込にて。
どんどん小食になって痩せていく母親が目の前にあるサンドイッチに手をつけないのを見て、娘が
「もう一つ食べて」
と言い、母親が
「いやっ!」
と睨みながら答える。他人行儀なほど丁寧な話し方をした義母が、まるで子どものような拒絶の言葉を吐き捨てるほど年をとったのかと、会話を聞いていてチクリと刺さった棘の痛みに思う。
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