【ヘルン先生と焼津】

【ヘルン先生と焼津】
 

 パトリック・ラフカディオ・ハーン、日本名小泉八雲、愛称ヘルン先生と静岡県焼津について書かれた本を母の本棚で見つけて読んでから、ヘルン先生が愛したという焼津の人と土地が気になっている。気になるので一度ちゃんと焼津の町を歩いてみたいと思いつつ果たせていない。

…陽がカンカン照ると、焼津という古い漁師町は、中間色の、言うに言えない特有な面白味を見せる。まるでトカゲのように、町はくすんだ色調を帯びて、それが臨む荒い灰色の海岸と同じ色になり、小さな入り江に沿って湾曲しているのである。(小泉八雲『霊の日本』所収「焼津にて」)

 



静岡県清水にて。

 ヘルン先生が東京帝国大学文科の英文学講師となり、帰化して「小泉八雲」と名乗り、東京都新宿区富久町に転居したのが1896(明治29)年のことなので、小泉八雲とその家族が焼津を最初に訪れた1897(明治30)年はその翌年ということになる。
 遠浅ではなく水泳に適した急深の海を求めて選んだのが焼津の海であり、清水も三保の外海などは急深なのだけれどヘルン先生のお眼鏡にかなわなかったらしい。だが、1899(明治32)年、1900(明治33)年、1901(明治34)年、1902(明治35)年、そして1904(明治37)年に54歳で急死するまで、毎年夏は焼津で過ごしたそうなので、ヘルン先生はそのたびに清水の町を通過していたことになる。静岡駅東海軒の駅弁が1889(明治22)年創業だそうだが、やすい軒の駅弁が当時すでにあったとしたら、江尻駅で駅弁くらい買わなかっただろうか。当時の列車で焼津まではまだ遠いのだ。



静岡県清水。波止場にて。

 焼津のどこがそんなに気に入ったのだろうという疑問を胸に焼津の町を訪ねてみても、100年以上も時を経て往時の面影はほとんどないに違いないので、そう急ぐこともあるまいと思い、宇野邦一さんが『ハーンと八雲』という本を今年4月に出されたので買って読み始めている。

…一部始終、いまも世界中の場末で繰り返されているようなやり取りばかりである。
「それはあたかも、ある窓を通してわれわれが二千年前の生活をのぞいているようなものである」とハーンはいう。ハーンの文学がどこにむかっていたか、よく伝える一節である。こういう凡庸な会話と光景が「ある窓を通して」見えるとき、もはやそれは凡庸なものではなくなり、驚異となる。たとえば小津安二郎の映画の人物たちのまったく凡庸なやり取りが、カメラのフレームを通してのぞかれ、フィルムに定着されたとき、それが何かしら奇跡的な様相を呈することと、これは無関係ではない。
(宇野邦一『ハーンと八雲』より)

 未知の「小泉八雲」に出会う!という惹句の添えられた本を読んでから訪ねたら、死の直前には家を買っての定住まで計画していたというヘルン先生の愛した焼津の町が、今はもうどこにでもあるような凡庸な町になりはてていたとしても、何かしら違って見える窓になるかもしれないという魂胆もこの読書にはある。



宇野邦一
『ハーンと八雲』
角川春樹事務所
四六判上製/224頁/1800円
ISBN978-4-7584-1134-9

 

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