【母と歩けば犬に当たる……95】

東海道みとり旅の記録
【母と歩けば犬に当たる……95】
 

95|あさぎり

 大学生時代、夫婦ふたり暮らしの老人宅に下宿していた。
 くの字に折れ曲がった細い坂道途中にある一軒家、その二階をアパート形式に改造して貸していたのである。クリスチャンだったようで、クリスマスの夜は仲間がやってきて玄関前で賛美歌を歌った。二階の窓から世界で一番清らかな歌声を聞いた。
 学校が冬休みに入り、年末帰省のの挨拶がてら来年一月の家賃を払いに階下へ降りると、おばあさんがお茶を入れている横で、おじいさんが
「暮れはどのように過ごされる」
と聞くので、郷里静岡県清水の実家に帰ると言うと、
「国府津から箱根を迂回して沼津まで出るのが難儀ですなぁ」
などと言う。
 かつて東海道線は小田原市国府津から箱根を迂回して山側のルートをとり、御殿場を経由して沼津から現在のルートに戻っていた。この迂回ルートは函嶺越え(★1)と呼ばれ、東海道線最大の難所だった。
 下り列車は国府津で、上り列車は沼津で補助機関車を連結し、子どもの頃に唱った『汽車ポッポ』(★2)にあるとおり、機関車と機関車が前引き後押しをして坂をのぼっており、おじいさんはそういう旅を思い出して「難儀ですなぁ」と言ったのだ。
「今は丹那トンネルができて熱海経由になりましたから快適ですよ」
と答え、おばあさんが横で聞きながらはらはらしていた。
 丹那トンネル開通は戦前1934(昭和9)年のことで、おじいさんはその40年後になってもまだ東海道線は函嶺越えをしていると思っていたのであり、おばあさんの表情にあった翳りを思い出すと、そろそろボケが始まっていたのだろう。
 母は今年に入って少し風邪気味で、今年最初の静岡がんセンター通院は大事をとって休み、代理で2週間分の薬をもらって清水まで届けることにした。
 県立静岡がんセンターの最寄り駅は御殿場線長泉なめり駅であり、小田急線・御殿場線直通のあさぎり1号か、はこね3号で行くと午前10時半の予約に間に合うので、「難儀ですなぁ」の老夫婦を思い出しながら御殿場線の旅にした。
 新宿駅7時15分発の小田急ロマンスカー『あさぎり1号』に乗車。
 駅間隔が狭い複線の通勤路線に走らせる特急列車なのでひどく遅く感じるけれど、それでもあっという間に多摩川を渡り、神奈川県に入るとスピードを上げて8時27分松田駅着。いよいよ列車は小田急線から御殿場線に入る。
 子どもの頃は、国鉄と私鉄が相互に乗り入れるなどという事態を想像したこともなく、国鉄と私鉄は線路の幅が違っているので不可能だと思っていたので、国鉄民営化後とはいえ、小田急の列車がJRの軌道を走るのはヘンな感じだ。だが、国鉄と小田急の線路は昔から繋がっていたそうで、小田急の車両は国鉄の路線を使って搬入されていたという。
 東京の夜明けは快晴だった。
 小田急沿線も眩しい朝の陽光に満ちていたが、御殿場線に入ったら空がにわかに鉛色となり、谷間や山間の農地には白い雲の塊が吹きだまったように残っている。
 9時12分裾野駅着。ホームに降りると青空が広がり、朝霧が晴れ降り注ぐ陽光で温められた大地から水蒸気が上がっている。9時25分発沼津行きの御殿場線各駅停車に乗り換え、長泉なめり駅には9時28分着。駅前からのぞむ高台に静岡県立がんセンターが見え、大きく深呼吸して上り坂を歩く。
 冬の風邪予防に良いと聞いて母のベッド脇に加湿器を置いた。ベッド脇で焼酎お湯割りを飲みながら、ひんやり湿気を含んだ空気を吸い込むのはよいものだけれど、この地域は霧のような朝の空気が心地よい。列車で旅して来た方角を振り返ると、やはり湿った雲が漂い、列車の名前ともなっている朝霧高原とはよく言ったものだなと思う。

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★1 函嶺越え
かんれいは箱根山の異称。
★2 長泉なめり駅
静岡県駿東郡長泉町納米里(なめり)にあり、1996年の静岡がんセンターの開院にあわせて開業した。

【写真】 長泉なめり駅ホームにて。

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