電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
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静岡県清水市出身、東京都文京区在住、本の装丁専門のデザイナー石原雅彦による日々の記録。東京教育大学教育学部芸術学科最後の卒業生。
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【焼きとりの木内】
【焼きとりの木内】
静岡県清水木の下町の「焼きとりの木内」。
今から40年以上前、大内田んぼにあった祖父母の瓦工場から大人用の自転車に跨り、堀込橋を渡り国道警ら隊(県警本部分庁舎)の交差点で国道1号線を渡り、狐ヶ崎の上原跨線橋を越え、旧東海道に入って平川地(ひらかわじ)で右折して有東坂を過ぎ、木下町と船越南町の境で左折してこの「焼きとりの木内」に自転車を預け、清水市立第二中学に通っていた時期がある。
撮影日: 07.10.15 1:01:48 PM
Canon IXY DIGITAL L2
東京から生まれ故郷に引き上げてきたものの、新たな生活の準備に手間取っているうちに新学期が始まってしまい、祖父の
「自転車で木内まで行って預かって貰え」
というひとことで校則違反の自転車通学をしたのだった。
あの頃はこの親戚の者が営む店のまわりものどかな田園地帯で、店の裏手も確か畑だったんじゃなかったかなと懐かしく思い出す。
◉
コメント ( 3 ) | Trackback ( )
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私はよく逆のコースで、母の実家のある大内の異常に冷たい水のプールにスーパーカー自転車(リアフラッシャー・リトラクタブルヘッドライト付)を6速ギアを駆使し走ってました。
汗をかいた後の大内のプールは最高でした。カナブン(クソブン含む)カメムシなども泳いでいましたが・・。村松の市営プールは生ぬるかったです。
実家の正月・お盆の集まりには欠かさず木内さんのもつ焼き(タレ)が並んでいます。なぜか焼き鳥を食べた記憶が無いのです。
みつやさんがすぐ横でしたね。今でも広告で作った袋にお菓子を入れてくれます。
スーパー安ベエ・良月堂・ムラキュウー金物・戸田書店(船越店)・やまへい(駄菓子)あとバナナ工場(倉庫)などが近所にありましたね。浪川酒店で酔いつぶれ暴れる父を兄と姉と私で向かえに行きましたが
そんなおやじが店にはいっぱい居た時代ですね。
友度山トンネルは肝試しの場所でしたね。
みつやさんで、こっそりゲームしたりしました。
やまへいも懐かしいです。
昔は田舎だと嫌悪していましたが、何年たっても
変わらぬ町並みに、時々帰省するとホッとします。
やはり自分の根っこは清水にあります。
故郷を離れてわかるよさ。
あんなに嫌だった故郷のよさを、今になって
知るなんて皮肉なものです。
僕が中学生の頃自転車の「リアフラッシャー」って出始めで憧れました。
同じく憧れのブルーバードSSSのウインカーがリアフラッシャーで格好良くて、東名が開通してそのブルSSSに乗せて貰ったときはしびれました。
「大内の冷たいプールで泳いだ仲間」にも初めて会いました(笑)
「浪川酒店」って記念塔通りの突き当たりに今も建物が残っているあの店かしら。
とても気になっていました。
叔父や父親も立ち飲みでべろんべろんになっていた時代があり、迎えに行かされるのが本当に嫌でしたね。
実家片付けをしていたら入江岡下の渋谷酒店が立ち飲みをやっていた時代の写真が出てきてびっくりしましたが、どの酒屋も量り売りで飲ましていましたね。
>あんなに嫌だった故郷
年をとって嫌だったものが好きになるという内的変化もありますけど、僕は清水の町も変わらないように見える場所ですら変わったなぁと思います。
もし今の僕がこの年齢のまま子ども時代の嫌っていた清水にタイムスリップしたらきっとやっぱり嫌いだと思います(笑)
嫌いだったものがいろいろ無くなっちゃって寂しいし懐かしいですが、今も有ったらやっぱり嫌いだろうなと思います。
何かは書けませんけど(笑)