電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
【母と歩けば犬に当たる……123】
123|終わりのない夏の手帳 08 ―定点観測の窓
母の介護用ベッド脇に座って三度の食事を共にする。
細い通りに面して軽自動車がかろうじて停められる駐車スペースがあり、その空間に向かって窓が全面アルミサッシ張りの部屋なので道行く人々がよく見え、固定された定点カメラによる静謐な定点観測ドキュメンタリーを見ながら食事をするようなものである。
毎朝泣きながら通学していく女子児童がおり、二人の女子上級生に伴われての集団登校である。
窓枠の画面左手から泣き声が近づき、両手で目元をこすりながら少女が通り過ぎる。左手の大通り、旧久能街道の角では見えなくなるまでお母さんが見送っているのだと母が言う。
「あんたもああだった」
と母は笑い、確かに泣きながら保育園に通った記憶があるので、ぼんやりと少女の気持ちがわかって切ない。
昨日はなぜか泣かずに通り過ぎ、
「あ、泣かないで学校に行けた」
と母は笑っていた。1学期終業式の朝である。
朝起きて駐車スペースの門扉を開ける作業を、母の運動を兼ねた日課にしてみた。そうやっておくと表の通りからも室内がよく見え、自転車に乗った知り合いの男性が通勤途中に立ち寄って声をかけてくれたりする。
彼は市役所職員であり、母が東京で過ごした9ヶ月間、毎朝通勤途中の桜橋跨線橋で、その日の富士山の様子をスケッチし、描き貯めては母に郵送し、励ましてくれたのである。
通りを挟んだお向かいは小さな理容室で、店主の女性は何かと母のひとり暮らしを支えてくださっている。最良の隣人のひとりである。
毎朝、トリコロール円柱の回転看板を表に出し、電源コードを差し込むとそれは乾いた断続音を立てて回り始める。60歳を過ぎたら廃業するつもりでいたので、壊れかけたものを騙し騙し使っているのだという。幼い頃から難聴気味なので全くその音が聞こえないのだけれど、母は聞こえすぎるほど聞こえるという。
熱い蒸しタオルを母に手渡し、自分で顔を拭いてもらうのも日課なのだけれど、台所仕事の合間にのぞくと白いタオルを顔の上に載せたまま寝ている。
息が詰まるといけないし、母がホトケサマになったようでドキッとするから止めるように言うが、顔が綺麗に拭けるようしっかりと蒸しているのだと笑う。
蒸しタオルを使い終える頃、近所の厄除け八幡さんでセミが鳴き始めるのだけれど、なぜか母はセミの声が聞こえないと言う。耳の遠い息子を笑う母だが、母は母でセミの声も電子体温計のピピッという音も聞こえないと言い、難聴にも聞きづらい周波数帯の個人差があるのだろう。
午後6時をまわり、理容室の回転看板が止まり、カタカタと音を立てて引きずられて店内に入れられ、店先に止めてあった自転車も引き入れられ、全面ガラスドアの内側に定休日を書いたカーテンが張られ、小さな理容室の一日が終わる。そんな繰り返しをもう2週間も眺めている。
薄暗くなった通りを下校途中の女子中学生が通り過ぎる。
通り過ぎる時ちらっとこちらを見たが、すぐに前に視線を戻して通り過ぎる。蛍光灯の下で中年になった息子と年老いた母親が囲む食卓風景が見えたはずで、かつて自分も下校時に他人の食事風景を見てしまい、やるせない気持ちを振り払うよう足早に通り過ぎたことを思い出す。
さっき通り過ぎた女子中学生に、中学生だった自分を重ね合わせてぼんやりしていたら、自分がやるせなく見られる側になっていることに気づいて唖然とする夕暮れである。
(2005年7月22日の日記に加筆訂正)
【絵】 WindowsMobileのPocketPCで描いた、泣きながら通学する少女。
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