【ゆうずつ】

【ゆうずつ】

民俗学者柳田國男の詩に「ゆうずつ」という言葉が出てきて恥ずかしながら「ゆうずつ」という言葉を知らない。

うしと此世を見るならば
我をいざなえゆうずつよ

「ゆうずつ」を辞書で引くと宵の明星すなわち夕空の金星のことであり、長庚と書いて「ゆうずつ」の読みをあてている。長にも庚にも「ゆう」と「ずつ」と読む手がかりは見つからなくて、「ゆうずつ」のひとまとまりが「宵の明星すなわち夕空の金星のことである」と丸覚えしなくてはいけない。こういう言葉を熟字訓(じゅくじくん)という。

2023/01/27 上富士交差点
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そういう熟字訓の実例を読むと身近にたくさんあって、ウィキペディアに簡潔でよい説明がなされている。

例えば、「明日」に「あす」という訓が当てられているが、単字の「明」や「日」に「あす」の要素は無く、読みの「あす」は「あ」と「す」に分けられない。

煙草が「た」と「ばこ」に分けられないのと同じだ。「〜〜は〜と〜に分けられない」という言い方は妙におかしい。早いもので来週はもう二月になるけれど、如月は「きさ」と「らぎ」に分けられない。

コメント ( 1 ) | Trackback ( )
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コメント
 
 
 
欄外 (den6blog)
2023-01-28 09:14:26
人が心身あわさってできていることを心身問題ととらえて心と身を分けて考えるのは自由だけれど、心と身が勝手に実在したらそれは霊魂とゾンビであってひどくおぞましい。生身の人は心と身になど分けられない。
 
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