【巴川とボラ】

【巴川とボラ】

 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2004 年 9 月 8 日の日記再掲)

清水みなと祭りで踊られる『次郎長踊り』という歌に登場する「ほてっぱら」という言葉、満腹状態のおなかのことであり、『大言海』によれば腹の太いことを意味する「ぼら」と同義である。

「ほてっぱら」を叩いてご機嫌に『次郎長踊り』を踊る清水っ子に相応しいのか、昔から巴川はボラの宝庫だった。とはいえ、僕が学校に上がる頃の巴川は思いっきり汚くて、今は驚くほどに綺麗になったので、安心して世界の中心で真実を叫べば「高度成長期の巴川は地獄のようなドブ川!」だった。

それでもそのドブ川をボラは元気に遡上し、万世橋の上から竿を振る人の足元には釣り上げられた大きなボラがゴロゴロ転がっていたものだけれど、
「これ、食べるの?」
と聞くと、
「臭くて人ん食えるわけんないじゃん、犬にくれるだよ」
などと笑われたりしたものである。

稚児橋たもとから柳橋まで、巴川沿いを歩いていたらボラが群れをなして川を回遊しながら、コンクリート護岸に生えた苔を囓っていた。ボラは海底や川底の泥を食べて餌だけ体内に残し、泥を排泄する、そのために胃の出口である幽門部が発達して「へそ」とか「そろばん」などと呼ばれ、漱石の『吾輩は猫である』にも登場するのだけれど、たいへんな珍味なのだそうだ。というわけで、泥を食べる魚と記憶していたボラが、鮎のように苔を囓り取るのは初めて見た。

食べているものが食べているものだけに、相当綺麗な棲息場所でないと、ボラは食べる気にならないのだけれど、僕がよちよち歩きだった頃の巴川は驚くほど綺麗だったし、戦前はもっともっと綺麗だったらしい。

坂政合板脇の清水水道橋が漏水し、その下に小さなボラが集まり、それを網ですくい取った祖父はよく田楽焼きにして母に食べさせてくれたと言う。コハダのそれと同様できっと美味しかったのだと思う。

ボラといえば唐墨が有名だけれど、活きが良ければ刺身や湯にくぐらせて酢醤油で、さらに塩焼き、味噌焼き田楽、味噌煮、ムニエル、バター焼き、唐揚げなどでも食べるらしい。そして、20cm 弱のボラ(オボコ・イナッコ・スバシリ・イナ)の腹に酢飯を詰めてほてっぱらにさせた「雀鮨」(大阪)、ジャガイモと一緒にすり下ろして団子にした甲州揚げ(山梨)、照り焼きをご飯に載せてお茶を掛けた「ぼらちゃず」(石川)、腹に八丁みそ・ネギ・ゴボウショウガ・味醂・酒を混ぜたものを詰めて串焼きにした「イナ饅頭」(愛知)など、様々な郷土料理も伝承されているわけで、素性さえよければ美味しい魚らしい。

夕暮れ時になるとボラが水面からジャンプする姿を見るのも、最近は巴川名物になりつつある気もするけれど、昔からボラのジャンプは有名で、1.5m も飛び上がって反転し、頭から着水するのだという。巴川のボラは水深が浅いせいか、はたまた栄養豊富な川なので「ほてっぱら」になっているせいか、着水は見事に腹打ちしていてボラも痛そうである。

柳橋橋上駐車場に帰省時は自動車を置いているのだけれど、リール竿を欄干に何本も立ててボラを真剣に釣り上げているご夫婦がいた。ワンボックスカーで乗りつけ、駐車場の駐車料金を払ってまでして真剣に釣っている姿を見て、
「これ、食べるの?」
と聞いてみたい衝動に駆られる。

写真小上:巴川製紙工場。
写真大上:ボラはハク→オボッコ(イナッコ)→スバシリ→イナ→ボラ→トドと出世するが、ちゃんと所属階層ごとに群れている。これは若衆。
写真大下:これくらいの大きさになると、そろそろ湾内に下る。
写真小下:雨上がりの巴川。対岸にあるのは庵原屋。

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