威風堂々

2016年9月22日
僕の寄り道――威風堂々

「煮て食おうが焼いて食おうがお前の勝手だ」と紋切り型で使われる啖呵(たんか)調の台詞(せりふ)はいったい何を出典とするのだろうか。検索してみたけれどわからない。「煮て食おうが焼いて食おうがお前の勝手だ、さあ勝手にしやあがれい!」と仰向(あおむ)け大の字になって威風堂々、一世一代の大見得(おおみえ)を切る姿は、テレビや映画では見ても実際に出くわしたことはない。

見たことはないけれど「おお、よくぞ言った!」と喝采を送りたくなるのは、人間土壇場(どたんば)に追い込まれたら往生際(おうじょうぎわ)の良さこそ大切だ、と他人に対して思っているからだろう。他人には喝采をおくっても自分ができるかどうか分からない。たぶんできない。

できないはずのことが期せずしてできてしまっているように見えることがあり、それは病気で倒れて身動きがとれなくなり、ベッドに寝かされて虚ろな目で天井を見ているときなどだ。すべてをあきらめ運を天に任せてしまったように見える。

義母のベッド脇にて

だが、そういう状態から生還した人の手記を読むと、身体が動かず、声も出せず、ベッドに寝かされて天井を見ているときも、ベッド脇で話す医師や看護師や家族や見舞客の声はちゃんと聞こえていたというから、土壇場で観念しているなどと決めつけるわけにはいかない。

そう思うと、ベッド際で軽々な発言はできないぞと思い、病人を見舞っても、老人ホームへ面会に行っても「こんにちは、あっというまに涼しくなったね」などという間抜けな挨拶をしたあと言葉が継げず、「わかる?わからないかな」などと余計なことを言わないよう、ただ微笑んで「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と語りかけるように見つめることにしている。


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