神田神社(神田明神)


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東京十社のウエブサイトを見ると、最初は根津神社、次は神田神社がくる。
当初は、歩いて回る時のおすすめのコースの順番に基づいているのかな、と思っていた。
しかしよく見ると、十社の専用ご朱印帳などの順番とは違っている。
それほど気にしなくていいのかな・・・
とりあえずこのブログでは、東京十社のサイトに合わせようと考えているが、今後の訪問日程により変更があるかも知れない。

明治4年に名称を神田神社に改称したが、江戸時代から現代に至るまで、誰もが「神田明神」の名前で呼ぶ。
神社のサイトを見ても、自らを神田明神と名乗っている。
その方が馴染みのある呼び方なのは確かだ。
ただし東京十社のサイトなどでは、正式名称の神田神社の方を使っている。

JRの御茶ノ水の駅からだと、聖橋を渡り湯島聖堂の角を曲がれば、5分ほどで到着する。
ただ見所の多い道なので、つい寄り道してしまい、実際にはもう少しかかるかもしれない。
僕の場合は、学生時代から秋葉原中心に活動していたので(笑)、ダイナミックオーディオなどに顔を出してから、散歩しているうちに辿り着くパターンだった。
あれっ、こんなところに立派な神社があるぞ・・ああ、これが有名な神田明神か・・という感じである。(ついでに甘酒を飲む・笑)
あの辺りは立体的な地形になっていて、急な坂が多く、もう一本神田川沿いの道を行ってしまうと、一段低いところに出てしまい、辿り着けなくなる。

神田明神の氏子地域は広大で、神田、日本橋、大手町、丸の内、豊洲魚市場、そしてお隣の秋葉原と、東京の東側の中心部に集中している。
さらには江戸三大祭りのひとつで、現在も盛大に行われている神田祭が、神田明神の祭礼となっている。
いろいろな意味で、華やかで大きい神社と言えるだろう。

御祭神は一之宮が大己貴命(おおなむちのみこと)、二之宮が少彦名命(すくなひこなのみこと)、そして三之宮が平将門命(たいらのまさかどのみこと)である。
創建は730年で、最初は現在の大手町の平将門の首塚のある辺りに建てられたという。
その後移動し、1616年に現在の地に移されたのだが、江戸城の鬼門としてこの場所が選定された。(裏鬼門は日枝神社)
もともとパワーの強い平将門を祀る神社であり、現在の大手町の将門塚も神田明神の氏子地域に含まれている。
いかに重要な神社であるかは、以上のエピソードで分かると思う。

境内には多くの摂末社がある。
末廣稲荷神社、三宿・金刀比羅神社、浦安稲荷神社、江戸神社、大伝馬町八雲神社、小舟町八雲神社、水神社(魚河岸水神社)などが、御神殿を囲むようにずらっと並ぶ。
それぞれのお社に狛犬さんやキツネさんがいて楽しい。

神田明神で驚かされるのは、考え方が柔軟で新しい・・ということだ。
もともと電気の街秋葉原に隣接していることもあるのだろうが、IT関係の御守りや、御守りの自動販売機など、ちょっと面白いものを見ることができる。
新しいものをどんどん取り入れているのだ。
ネットでの情報配信も活発で、ウエブサイトもかなり充実している。

また数年前には境内にEDOCCOというホールなどを有する文化交流館をオープンし、そこで地域のお土産の販売店やカフェなども運用している。
オリジナルのガチャやアニメ作品とのコラボ商品など、本当に多岐に渡るものを扱っている。
(これは秋葉原の影響が大きいような気がする・笑)
お土産類も洗練されたものが多く、ついいろいろと買ってしまう。

長い歴史を持つ神社で、境内には古い建造物があるにもかかわらず、2000年以降に建てられた近代的なデザインのものも混在している。
一瞬戸惑いも感じるのだが、一方でこれだけ由緒ある神社にもかかわらず、その時代の新しいものをどんどん取り入れていく姿勢に感心させられる。
神社といえば、古くて伝統的なもの・・というイメージがあるが、実際には(かつてよりずっとそうであったように)神様は常に地域の住民とともにその時代を生きておられるのだな・・と実感させられる。




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御茶ノ水の駅から出て聖橋を渡る。
三つの線が交わる鉄道マニアには有名な撮影スポットであるが、アニメ映画の影響か、最近は聖地巡礼の外国人観光客も橋の上に集まっている。




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中山道沿いの参道入り口にある大鳥居。
銅板で覆われた鳥居をくぐると、緩やかな上り坂の先に隨神門が見えてくる。




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都会の神社なので、周囲は近代的な建物ばかりである。
その中にある一際鮮やかな色の隨神門は、周囲とのコントラストにハッとさせられる。




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神田明神は大正時代の関東大震災とその後の太平洋戦争の空襲で多大な被害を受け、境内の多くの建物を焼失している。
この隨神門も昭和50年に再建された比較的新しいもの。
松下幸之助氏の奉納。




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隨神門は外側に神社を守る隨神像を配しており、右は豊磐間戸神、左は櫛磐間戸神が安置されている。
加藤清正公が植えたという熊本城域内の樹齢500年の楠が使われているという。
写真は左側の櫛磐間戸神。




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内側から見た隨神門。
こちら側は左右に立派な神馬の彫刻が配されている。




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正面に国登録有形文化財の御社殿が見えてくる。
関東大震災でほぼ焼失してしまうが、昭和9年に当時としては画期的な耐火構造の鉄筋コンクリートで再建。
賛否あったようだが、結果としてその後の太平洋戦争の空襲の際にも、この御社殿だけは残ったという。




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御神殿前の狛犬さんはとても特徴的で立派である。
昭和8年5月に奉納されており、左右とも真正面を向いて睨みをきかせているのが特徴。




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とてもマッチョなのは、やはり神前守護としての力強さを表現しているのであろう。
筋肉の付き方も現代的である。
どこか劇画タッチであるが、昭和8年の制作であるから、こちらの方がオリジナルである。




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一方こちらはクラシカルなデザインの獅子山の子獅子。
獅子山は珍しい江戸期の石造物で、獅子が谷に子供を落とし、這い上がってきたもののみを我が子として育てる・・という逸話を造形化している。(関東大震災で崩壊し、子供の獅子は紛失してしまったそうで、こちらはその後新調したものかもしれない)
常に水がかかる状態で少し可哀想である。




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重さが30トンあるという石造りでは日本一というだいこく様の像。
昭和51年に完成した近代的なデザインの像で、一之宮の御祭神である大己貴命(おおなむちのみこと)を、目に見える形にしたものだという。
現代的なデザインであるが、引っきり無しに参拝する人が訪れる。




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だいこく様の石像の横にある献燈には、紀元二千六百年と彫られていた。
明治政府が神話に基づいて作ったいわゆる皇紀で、1940年には建国2600年目と盛大に祝った。
余談であるが、零式艦上戦闘機はこの年に正式採用されたため零戦の名称になった。




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現在EDOCCOの延長部分に置かれている鍛金工芸のえびす様。
こちらは二之宮の御祭神である少彦名命(すくなひこなのみこと)を具現化している。
大胆な造形は東京芸術大学学長の宮田亮平教授の制作。




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裏手にある摂末社のひとつ、末廣稲荷神社のキツネさんはスタイリッシュである。
顔つきがシャープで胸が反り返っている。
狼少年ケンに出てきそうだ(笑)
こういうデザインを見ると、製造者の思いや工夫が伝わってきて面白い。




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ユーモラスな表情で迎えてくれるのは、合祀殿の狛犬さんだ。
ちょっとオバQっぽい?(笑)
籠祖神社、八幡神社、富士神社、天神社、大鳥神社、天祖神社、諏訪神社の七社を合祀している。
それぞれ江戸時代の神社であるが、震災、戦災で社殿を焼失し、神田明神の本殿を仮御座としていたが、平成24年に合祀殿が建立された。




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平成30年にオープンした文化交流館のEDOCCO。
ホール、スタジオなどの設備も有する施設で、1階にはお土産ショップやカフェなどがあり賑わっている。
神社運営の新しい形と言えるだろう。




FUJIFILM X100V

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御神馬の神幸号(みゆきごう)「明(あかり)」。
あかりちゃんの愛称で親しまれている。
夏の期間はどこかの牧場に避暑に行っているらしい。
暑いからね・・・
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