ナチス記録センター


Z7 + NIKKOR Z 35mm f/1.8 S

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ケルンに滞在中、仕事の合間に「ケルン市ナチス記録センター」という施設を訪問した。
調べているうちにこのような重要な施設があることを知り、今回の出張中にどうしても訪問したいと思っていた。
各地に残されているナチスに関する施設の中でも、特に保存状態の優れているのが、このケルンのナチス記録センターであるという。

初日に行ったら月曜が休館日だったので、翌日仕事を終わらせてから再度訪問した。
第二次世界大戦中、ゲシュタポのケルン支局の置かれていた建物が、そのまま使われている。
中央駅から歩いて10分ほどの場所にあり、閑静な街の一角に溶け込むようにひっそりと建っている。
地震の少ない土地だからこそ当時のまま残せたのであろう、古い匂いのする石造りの建物である。



ここはまさにナチスによる犯罪行為が行われた「現場」だ。
地下には独房が並び、重い木の扉には内部の様子を窺う覗き窓が設けられている。
その下の階はさらに暗く重い空間で、小部屋で区切られ、拷問や空襲時の退避に使われていたようだ。
この建物の中で大勢の人間に対して暴力が行われ、建物の中庭では400人以上が絞首刑に処された。
施設の上の階はナチス関連の写真や記録の展示、あるいは研修の教室などに使われている。



独房の壁には、ここに収監された様々な国の人たちの残した落書きが残されている。
日付の感覚を失わないためのカレンダーや、互いを勇気付ける言葉などだ。
それらが貴重な遺産として、傷つかないようにガラスで覆われて保存されている。
そこには明日にも処刑されるかもしれない人たちの不安や絶望、不屈の思いが綴られている。



ここはドイツの人たちにとっても、当然のことながら特別でデリケートな存在の施設と言えるだろう。
貴重な遺産ではあるが、観光スポットとして大々的に宣伝しているわけではない。
非常に暗く重い場所である。
来館者は後を絶たないが、誰もが悲痛な面持ちで見学しており、観光気分で来る人はいない。



ドイツの戦後処理に関しては大変複雑、かつデリケートな問題で、調べてみると分かるが、ネット上にも様々な意見が載せられている。
日本の戦後処理と比べる意見も多いが、それについてここで述べるつもりは無い。

ドイツはナチスの犯した罪を全面的に認め、関係者を洗い出し追及することで、戦後のドイツが別の国に生まれ変わったことを訴えた。
その長年の努力の結果、周囲の国々の信頼を回復し、現在の欧州でのリーダーの地位を得た・・と言われている。
それが実際にどのように行われているのか、その一端に触れることが、今回の訪問の目的であった。



センターではナチスに関わった人たちを顔写真付きで展示し糾弾している。
また被害者側も、やはり個々の写真とともにその身に起こったことが綴られ、悲劇をリアルに感じられるようになっている。

ナチス・ドイツはある特定の民族を地上から根絶しようとして、それを国家として実践するという史上類を見ない国家犯罪を犯した。
我々は戦争と結び付けて考えるが、ナチスの蛮行は自国民に対する虐殺から始まっており、通常の戦争犯罪とは分けて考えられているようだ。



施設に滞在中、僕以外にも多くの見学者が来ていた。
中でも高校生くらいの子供たちが、十数人の集団で引率されてやってくるのが目に付いた。
僕のいる間にも三組の子供たちの集団と遭遇した。

展示物を前に引率の先生が、いかに過去のドイツが大きな罪を犯したかを説明する。
子供たちはさすがにふざけたりおしゃべりしたりする様子は無く、神妙かつ複雑な面持ちで聞いている。
そんな彼らの姿は非常に印象的であった。



かつて自分たちの国が行ったことを徹底的に否定し、次の世代に直接の罪は無くても、その責任を負う義務があることを伝えていく。
そのことがこの子供たちにどのような影響を与えるのかは分からない。
ドイツ国内でも様々な意見が対立し、簡単にここまで来たわけではないようだ。

いずれにしても戦争の歪みはとても大きく、数十年程度では到底消え去るものではない。
今後もそれはずっと続いていくであろう。
つくづくそう感じた訪問であった。

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