グラマン 3


D810 + SIGMA 35mm F1.4 DG HSM

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終戦間際にわざわざこんな内陸にまで攻撃に来たのか・・・
当時は本土決戦の特攻要員を各地の小学校に集結させたそうで、その情報が漏れていたのだろう。
もしかするとより大きい目標を攻撃した編隊が、第二の目標として立ち寄ったのかもしれない。

既に日本側に抵抗する戦力が、どれほど残っていたのかはわからない。
しかし相手にとっても、ここまで敵地の奥深く進行するのは命懸けであったろう。
何しろ栃木県には中島飛行機の陸軍四式戦の工場もあるのだ。

グラマンは校舎を数回攻撃して帰還する予定だったと思われる。
ところが隣の山の上にもうひとつ目標をみつけた。
実家の裏山の上に開けた平らな場所ある。
僕が時々撮影に行くお気に入りの草地である。

当時は食べるものが無くて、そこに畑を作り野菜を育てていた。
ところが地元の子供たちがその作物を盗んで食べてしまう。
そこで村のAさんという年寄りがひとりで見張りをしていた。
腹を空かした悪ガキどもから作物を守っていたのだ。

そのAさんがパイロットの目に留まったようだった。
開けた場所にひとり立っていると目立つ。
1機のグラマンがそちらに機首を向け、12.7ミリ機銃を発射した。
戦闘機の爆音に交じり、空気をつんざく機銃の発射音が響き渡った。
少年だった義父の頭上で、鮮やかなオレンジ色の曳光弾が何本も裏山の方に飛んで行った。

不思議な話だが、集落の建物に対しては攻撃を加えない敵機が、人影を見ると機銃を撃つのだという。
当時は女子供にまで竹槍を持たせて、米兵を殺す訓練を行っていた。
そのため日本人は全員戦闘員とみなされ、動くものはすべて撃っていいという命令が下っていたらしい。
グラマンは山の上でひとり番をしていたAさんに向かって機銃掃射を行ったのだ。

山の上から爆撃を見物していたAさんは、いきなり自分が標的にされて肝を冷やした。
機銃の着弾の列が、地面を煙をあげながら追ってくる。
Aさんは必死になり走って逃げた。
這う這うの体で山を下りたAさんは、それ以降恐ろしくて畑には行けなくなった。
グラマンは一連射しただけで立ち去っていった。

どうやら子供たちは、これ幸いとAさんのいない山に食べ物をいただきに行ったようだ。
育ち盛りに食べ物が無く、腹を空かせているのだから当然の行動である。
しっかりと状況を把握し、ちゃっかりと行動するのは、いつでも子供たちである。
それから数日後、集落では皆がラジオの前に集められ、玉音放送を聞いたのだという。
(完)
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