手帳


D3 + AF-S NIKKOR 35mm f/1.4G

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最近システム手帳を見かけなくなった。
銀座の文房具店に行っても、売場が以前ほど大きくない。
どこに置いてあるのか、店員に聞く始末だ。

なぜだろうと考えたが、答えは簡単、携帯電話の普及が理由である。
スケジュールは携帯に入れて管理する(される?)というのが、一般の常識なのだ。
会社が社員に徹底させないまでも、社員自らが当たり前のように使っているのだろう。

電子機器に重要なデータを入れ、頼りきりになることに抵抗を感じる僕は、そうとう古い人種といえる。
最近になって、必要に迫られて初めてシステム手帳を持ったくらいだから、ほとんど原始人なみに見られているかもしれない(笑)
これでも以前はコンピューターの仕事をしていたわけで、決して機械に弱い方ではないのだが・・・

確かに分厚くてボロボロになった手帳を出して、何やら書き込んでいる人と会うと、あまりカッコよくは見えない。(かつては、それがカッコいい時代もあったようだ)
若い人は内心笑いながら見ているのだろう(笑)
絵を描くのが得意な、アーチストとしての才能を持った人なら別だが、(たいてい字が下手で書くことが苦手な)一般の人にとって、電子手帳的な機器は福音なのかもしれない。

10数年前、自分でレザークラフトをやっていた時は、よく知り合いにシステム手帳を作ってプレゼントした。
特別にアメリカから取り寄せたオークでなめした厚みのあるレザーに、全面にバスケット模様(それも特注で作らせた彫の深いスタンプを使用した)を入れ、内側はバックスキンを張るという、実に凝ったものであった。
当時はいろいろな人から、私にも作って欲しいと頼まれたが、手がかかりすぎて大変なので、多くはそのままになってしまった。
しかし今となっては、もういらない・・と言われてしまうかもしれない(笑)

かつて駅前にあった多くの喫茶店を滅ぼしたのは、あちこちで見かけるコーヒーのチェーン店ではなく、実は携帯電話だという話を最近読んだ。
待ち合わせの場所にする、新聞のニュース等の情報を得る・・といった、喫茶店の役割の多くが、携帯電話ひとつで済んでしまうようになったからだという。

その昔、僕が赤坂で働いていた頃は、高価な携帯電話を所有できる人は限られていた。
それを見せたいがために、わざわざ大きな携帯電話を耳に当てながら、オープンカーに乗って六本木を走る女性を見かけたこともある。
24時間いつでも連絡が取れるように、プログラムの設計者には会社で携帯電話を持たせるべきだ・・という案が出た時に、「そんな非人道的なことが許されるのか・・」という反対意見が出るような時代の話た。

当時は自分が携帯電話を持つなんて想像できなかった。
それが今や、小学生までが携帯を持っており、大衆的な機材の代表格にまでなった。
あの当時と、一見生活はそれほど違っているようには見えないが、携帯電話の普及が人類に与えた影響は大きいのだ。
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