津波


D3X + AF-S NIKKOR 24mm f/1.4G ED

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輸入代理店のMさんは、スマトラ沖大地震の時、お孫さんたちとプーケット島で休暇を過ごしていた。
地震が起きたのは確か日本では正月の直前で、まだこのブログを書き始める前の出来事である。

当日Mさんは、ホテルのプールでお孫さんの相手をしていた。
前日は海岸に遊びに行ったのだが、その日に限ってたまたまプールにいたのだ。
そこに水が押し寄せてきた。

最初は何が何だかわからなかった。
情報が何もないので、大量の水を見て、テロで水道管が破壊されたのではないかと思ったという。
たちまち1階に水が浸入してきて、長身のMさんは家族を抱きかかえて2階に避難した。
その時水上バイクが流されてきたのを見て、おかしいなと思い、水中を見ると魚が泳いでいる。
それではじめて津波であるとわかったという。

それからが大混乱であった。
トラックの荷台に乗せられて高地に避難し、数日間その状況で過ごさねばならなかった。
ホテルにはドイツ人の観光客が大勢おり、津波発生時には彼らの多くが海の方に出かけていたが、ついに帰ってこなかったという。

そのMさんと先日久しぶりにお会いした。
仕事でベルギーの資材メーカーから来た営業を連れて来社された。
辛い思い出をあまり聞くのも悪いかと思ったが、食事の時、津波の時の様子を尋ねてみた。

Mさんは淡々とその時の事を話してくれた。
同じ日本人の若い女性がホテルに滞在していたが、その人の部屋の窓が割れ、海水と共に死体が流れ込んできた。
そのためショック状態に陥った女性を助け、しばらく家族といっしょの部屋で暮らしたという。

病院には重傷を負った患者がごろごろと寝かされていた。
ドイツ語と英語が堪能なMさんは、ひとりひとりの身元を確かめる手伝いをしていた。
真っ黒な肌をした男性が寝かされていて、いろいろな言葉で話しかけたが反応がなく、どこの国の人か判明しなかった。
恐らく現地人だろうと話していたところ、急に日本語で喋り始めたので、はじめて日本人であるとわかったという。
修羅場と化した現場が、相当混乱していたのが伝わってくる。

最初は笑みを浮かべていたベルギー人の営業は、急に真剣な顔になり、「あんたあの時、あの場所にいたのか・・」と驚いたように聞いた。
あれだけ大勢の欧州人が亡くなったのだから、彼らにとっても特別な意味を持つ日なのだ。
Mさんは両手を広げて、「ああ、波に乗って十分にサーフィンを楽しんだよ」とブラックなジョークで返した。
しかし顔には、少し自虐的にも見えるひきつった笑みが浮かんでいた。
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